嘘か誠か
過去の大きな過ちと愚かな行為の数々、それらに押しつぶされそうです。
特に家族へ対する罪悪感で。
私は1年半前、自責の念から死を選ぼうとしていた時、お釈迦様の言葉に救われました。
それからは心を入れ替え拙いながらも少しずつ仏の道を歩んでいます。
ですが、今とても苦しいです。
私が別人のように生まれ変わったことは家族にも十分伝わっています。
数年前よりぐっと家の中は明るく穏やかになりました。
しかし、私はまだ罪を告白し謝罪していません。
昨夜、妻から何がきっかけで仏教徒になったのかと問われました。
まともに答えられませんでした。
肝心なところはぼかして答えてしまいました。
すべてを打ち明け謝罪すれば、私は自責の念から解放されるかもしれません。
しかし妻は絶望するでしょう。夫が悔い改めているとは分かってはいても。
この先ずっと隠し通して生きていくとなると、嘘をつかなくてならない場面もあると思います。
家族の安寧のためなら嘘も方便なのか、それとも正直に生きるべきなのか。
お坊さんならどうしますか。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
打ち明けることが懺悔ではない。背負いながら仏様と生きていく。
打ち明けることが、懺悔にはならない。
生きていれば、人は自分の想いを膨らませていきます。そこに、善悪の判断をつけていくのです。
もちろん、社会のルール、倫理的、道徳的な基準がありますが、守っていても その中で人は、煩悩を燃やし続けています。
思い通りにならない世の中で、思い通りにしようと自分の都合を当てはめていく。
いろんな欲の罪を重ねてでしか生きれない私たちです。
そんな我が身を、仏様に照らされて、ようやく埃まみれであったと気付いていけるものなのです。
信仰に目覚めるのは、何も罪を償うためだけではありません。
いろんなきっかけ、縁が結ばれて、仏法に向き合う私にならせていただくのですから。
周りから、変化を聞かれたら、大切に生きようと思ったからとおっしゃったらいかがですか。
また一緒に、聞法、聴聞しようと。
縁を結んでいきましょう。
打ち明け謝罪すれば、自責の念から解放されるかも〜と思うかもしれませんが。
罪は消えません。背負いながら、生きていくのですよ。
ただ、ひとりではない。
仏様が一緒に、引き受けてくださるのです◎
質問者からのお礼
中田三恵様
厳しくも優しい心温まるお言葉ありがとうございます。
罪は消えない背負いながら生きていく。
仏様が一緒に引き受けてくださる。
ハッと気づかされました。
知らず知らずのうちに様々な罪を重ね、そしてすでに救われていることに。
まだまだ未熟な私はまた挫けそうになるかもしれませんが、ひとりではない、仏様と共にあることを忘れずにこれからも大切に生きていこうと思います。



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