加害者の私はどうすればよいのでしょうか
以前不倫が会社にバレたかもしれないと相談させて頂きました。
以前の相談が
Aさんと手を繋いでいるところを課長(Aさんと関係を持っている)に見られたかもしれない、部長に告げ口されたかも…という内容でした。
アドバイス頂いた次の日、すぐ総務の先輩に辞めたいと相談しました。内容が内容なので本当の事は伝えず、課長と上手くいっていない事、ミスが多く課長と部長に迷惑をかけているので辞めたいと伝えました。先輩はとても親身になってくれて、私なりに職場環境を良くできるように頑張るからもう少し待ってと言われてしまいました。
先輩の優しさを無下に出来なくて、その日は話を聞いてくださった事にお礼をして帰りました。
帰った後その先輩からLINEがあり、全く問題になってないみたいだよ!あなたの想像だったよ!みたいなメッセージが来ました。
そこからどうしていいか分からなくなってしまい、今に至ります。
もうその先輩も本当の事を知っているかもしれません。
周りの目や嘲笑が怖くて仕方がないです。
会話に聞き耳を立てて私の事かなとか、これからどうなるんだろうとか。
こんな心配ばかりしている自分も気持ち悪いです。
私加害者なのに。
加害者の私は助けを求めていいのでしょうか。それともこれが罰だと思って日々を過ごした方がいいのでしょうか。
普通に恋を知りたかったです。
凄く苦しいし悲しいです。
そう思う資格すら無いかもしれないけど。
私が生きている意味ってあるのかなと思ってしまいます。
死ぬという選択は家族を悲しませたくないので選びたくは無いのですが、生きる意味が見いだせません。
元日くらいしか休みが無いので、また明日も出勤かと思うと辛く、食事も出来ませんでした。
気持ちをぶつけてしまって、ごめんなさい。こうして相談する事も悪のような気がして辛いです。本当にごめんなさい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
辛い思いをしましたね
ご相談拝読しました。とてもお辛い中におられるのですね。
不倫は相手がいる事ですからあなただけが悪いのではありません。しかし現にこうしてあなたが苦しんでいることから学ぶならば、不倫はやはり避けるべき悪なのでしょう。
では、起してしまった悪とはどう向き合えばよいでしょうか。会社を辞めるのも選択肢の一つでしょう。自責と自己嫌悪を罰だとしてそれに苦しむのも選択肢の一つでしょう。
しかし、いずれにしても不倫をしたという事実がなくなるわけではありません。だからあなたがそのあなた自身とこれから向き合っていかなければ、たとえ外から穴埋めや相殺のために何かを持ってきても本質的な救いとはならないのです。
あなたはAさんを好きになろうと思ってなったわけでもなく、不倫をしようと思ってしたわけでもないでしょう。
気がついたら好きになってしまって、そして不倫だと知ってもそこから先を止めることは出来なかった。
つまり私たちは縁さえととのえば何でもしてしまうような存在であるということです。縁にふり回されていく。だからあなただけが悪いのではないのです。
でも今あなたはそうして縁にふり回されて流されていくならば苦しむことに気がついた。
ならばこれからは自分が縁にふり回されるような弱い存在であることを認めつつ、だがしかし降りかかってくる縁に対し主体的にあなた自身の態度を選択していける意志を持つことです。
会社を辞めたり自分が少しでも楽になる様に環境を整えることはけして悪い事ではありません。
でもいくら環境を変えてもあなた自身からあなたは逃げることが出来ません。なのでそのあなた自身をこそ認め受け止めることだできることこそが救いなのです。
でも自分の姿は自分では見えませんから私たち仏教徒は教えの鏡に自分を照らします。
自分を照らす鏡の役割は他者も担ってくれます。でも不倫のことは言えないので難しいでしょう。
よければ仏教の教えを求めてお寺に足を運んだり、ここhasunohaで相談を継続してあなた自身の救いを求めましょう。
質問者からのお礼
吉武様
お返事頂きありがとうございます。
苦しい気持ちばかりで周りが見えなくなっていました。
どの道を選ぶかは自分自身で決断するしかなく、どの道でも罪を無かったことには出来ないですよね…。
凄く当たり前の事なのに気づけなかったのは、自己中心的になっていたからだと恥ずかしく思います。
優しいお言葉ありがとうございました。
もう少し頑張ってみたいと思います。
私は弱いので、また苦しくなって相談してしまうかもしれないけど、自分としっかり向き合いたいと思います。
ありがとうございました。