罪深い人が浄土に行くことについて質問です
大量殺人者など罪深い人が浄土に行くことについて質問があります。
1.大量殺人者など、どんなに罪深い人でも心から反省さえしていれば、浄土に行くことができるのでしょうか?
2.反省することは罪悪感を持ち続けることなんでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
他者ではなく自分事として受けとめて下さい。
「己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」…仏陀の真理の言葉です。仏教徒である者はこの言葉を忘れてはなりません。
その上で「大量殺人者であっても必ず浄土に仏として生まれさせる」と誓われたのが阿弥陀という仏様です。だからその者も必ずさとりをひらき、仏と成ります。
そうでないと、殺人を犯した者はすくわれなくなります。それはそうだろう…は道徳です。自分は殺人など犯さないと固く信じている側の人間が作った規則です。
でも、私達は縁があれば何でも行う存在です。あなたも私も明日人を殺めてもおかしくない存在です。大事な家族を残忍に殺されて…それでも絶対に復讐しないと誓えますか。「心で憎き殺人者を殺し」ませんか…。
仏教は私の生きる道を説きます。ですので、基本的にあの人はどうなんだ?とおっしゃる問いには答えにくいのです。万一あなたが罪を犯したら…とお考えになって下さいませ。
反省することは罪悪感を持ち続けることかどうか…一般論としてはそうだと思います。
ただ人間は罪悪感を持ち続けることが出来ません。それだと自分の心が壊れてしまうからです。だからなんとかして罪悪感という苦しみから逃れようとします。一つには自分を正当化する、または努めて忘れようとします。
そのいずれにしても、良くない行動ですよね。良くない行動しか出来ないわたしであるからこそ、そんなあなたが心配だ…の阿弥陀仏です。
どうか、そんな仏の御心は「どうにもならないこの私」に届いて下さっていることを頂いて下さいませ。
人を裁くのは職業裁判官に任せるしかありません…私には人は裁けないと本当に思います。
汚れた心を掃除しなおす
汚れた心を掃除することは、誰にでもできます。
心が汚れまくった罪人であっても、極楽浄土で心の掃除をやり直せるのです。
罪を反省することは、心を汚してしまう自分のだらしなさを反省し、たとえば心に牛乳をこぼさないように次回から気をつけるとか、そのように思考や行動を改善していくことではないでしょうか。
質問者からのお礼
ありがとうございました‼