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心の中で愚痴ばかりの習慣を変えたい

回答数回答 1
有り難し有り難し 21

人生全然思うようにいかず、夫とは最低限の会話しかなく、唯一の親友が去っていってしまい、気軽に声をかける友達はあまりいません。
根本的に人への恐れがあり、お金を稼ぐ能力は低いです。多分、貧乏。
仕事も、来月から無職です。
身につけた資格や技術はありません。
子供の存在だけが喜びみたいになってしまっています。
こんな母ちゃんでごめん、とよく思います。

私は心の中で毎日、毎分、愚痴ばかり言っています。
なんで私は何も得ることができなかったのかと思ってしまいます。
得ているものも本当はあるのだろうけど、最近はあまり見えていません。
面白くない、面倒くさい、ばかりです。

こんなことでは不幸を引き寄せてしまうばかりだと思うのですが、習慣のようになってしまってなかなかやめられません。
心の中の愚痴は、やっぱり神さま仏さまには聞こえていますか?
これほど弱い、すぐに負ける自分を直したいです。
直しかたを教えてもらえませんか。

頭の中がパニックで、病気になったらどうしようと思うんです。
過去にそういうときもあったので。
でも、もう子供がいるので、社会をちゃんと生きていきたいのです。
つぶれたくない!

ほんとに、ごめんなさい。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「大丈夫」 

まずゲオに行って韓流ドラマを借りてイケメンに陶酔して現実逃避します。
しかも冬ソナとか何故今頃?なものを選んで店員ヒかせましょう。
誰も知らない微妙な韓流アイドルや認知度の低い地下アイドルにドハマりして団扇やグッズを買ってきて子供たちから心配されましょう。
家にイケメンアイドルのポスターを貼ります。
氷川きよしファンクラブに入ります。
朝から家族に聴こえるように曲をかけます。家事をしながら「大丈夫!♪」と口ずさみましょう。するともれなく家族が本気で( ゚Д゚;)「大丈夫か?」心配してくれます。そこで初めて家族が一つになってあなたに心を寄せてくれるでしょう。
つまり、あなたにとって今必要なのは氷川きよしです。
嘘です。
あなたに今必要なのは素直さ。立場やプライドを捨てて素の人間になりましょう。
正月はこたつに入ってミカンでも食べながら孤高のこたつむり🐌になりましょう。
「かたつむり いずこも同じ 我が家かな」という道歌があります。
人は何処に行っても自分自身なのですが、家では旦那の顔色伺ったり、子供たちの事ばかりで立場を過剰に意識しすぎているところがあるんじゃないでしょか。
そりゃ人間、親からすれば子供であり子供からすれば親であり、母親であり、夫からすればワイフであり、HKファンクラブからすればサイフです。依存はいけません。アイドル依存は自分を見失うので「大丈夫」なくらいにいたしましょう。
禅の言葉に「大丈夫慧剣を取る」という言葉があります。(証道歌)
「大丈夫」とは本来、立派な人の境涯の事。
人間が本当に大丈夫になるには、何かに染まる前の無我なる本来の純粋な心、本当の自分に出会うこと。
キヨシ氷川氏は本当の自分に出会ってしまって?以来、世間から歌のタイトルみたく「大丈夫」かと突っ込まれていますが、返事もタイトル通りですから文字通り大丈夫なのでしょう。
人間が本当の自分に出会うために必要なことは一度一人「独人」になることです。
人間は関係性の糸・縄に縛られていると、立場という縛りにがんじがらめになってしまいます。
一度それを解き放ちにお寺に坐禅会にでも来ると良いですよ。
決め込んでしまった自分を救いようのないキャラやスタンスがあなたを苦しめているのかもしれません。
立場を離れ自分を解放する為にも外へ飛び出し足を運んでみましょう。きよしのコンサート会場ではなくお寺に。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下覚元さま

お写真、少し拝見しました。
まあるい素敵なお顔ですね。
今の私は眉間に皺が寄ったへんちくりんな顔をしています。
私もあなたのような人に安心感を与える顔になりたい。
今からでも近づけるかな。

独身の頃、ヨガをしていました。
座禅会にも何度か足を運びました。
その頃の感覚、思い出したいけど、思い出せないんです。
さっきお寺を検索していて、遠いしな〜とか、子供の寝かしつけがあるしな〜とか、旦那はいい顔しないよな〜とか、色々思いました。
ほんと、おっしゃる通り、立場に縛られているのですね。
もう少し、それをひとつでも崩すことを考えてみます。
できたら、何かしら、どこかしら行ってみます。

今の氷川きよしくん、いいと思います。笑
でも、ほんとに。

また苦しくなったら投稿しちゃうと思います。
ごめんなさいね。
お正月なのに、お返事くださってありがとう。
ありがとう。

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