自分の性格の悪さ
閲覧ありがとうございます。
34歳になるのに未だに自分の性格の悪さを感じます。
仕事で適切な指摘(相手は私個人だけに対して言った訳ではないのに)をしてくれた相手にお返しするように別件を物申してしまいました。
その時たまたま私がやった業務でそれを言われたので内心「むっ」としてお返しするようなことを言ってしまいました。
自分で言っておきながら罪悪感や「要らない言葉だった」「本当に性格が悪いな自分…」とその後仕事をしながら考えていました。
元々性格はよくないですが歳を重ねて少しずつマシになってきたな、若かった時よりもまだ大分良くなったと思う時も増えてきたのにこういう部分で性根が現れて自分のことながら嫌になります。
少しずつでも性格の悪い自分から変わりたい気持ちはずっとあります。時折出る自分の本性をどう考えていけばいいでしょうか?
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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プライドは大切にしつつ、「受け取る」ことに意識を向けましょう
性格が悪いわけではないと思いますが、余計なプライドが邪魔をするのではないかなと思います。
ムッとしたのも瞬間的なものなのに、(あなたに言われたくない!)という感情から、噛みついてしまう。
ですが、周りから見ると、素直に聞き入れられない、気難しい人という印象を与えてしまいますし、冷静さに欠けた行動にもなりますよね。
適切な指摘だったのであれば、黙って頷きながら、(個人攻撃ではなく、業務に関する指摘、アドバイス)と理解する時間を大切に出来たらいいですよね。
プライドというのは、素晴らしいもので、自分の力を信じることなんです。ですから、あなたのプライドは大切にしつつ、「受け取る」ことに意識を向けましょう。
これは、喧嘩じゃないのですから、戦う必要はないのです。虚勢を張る必要はなく、自分の力(成長)になっていくアドバイスをもらえたと思っていきましょう。
また後からでも、反省の意があるのなら、相手に伝えることも大切にしましょう。素直な気持ちも、行動を伴ってこそですよ。
無理に性格を変えようとして、苦しむ必要はありません。
「性格の悪さ」に直面して落ち込んでしまうお気持ち、とてもよく分かります。しかし、仏教の視点から申しますと、その「嫌な自分」に気づけたことこそが、実はとても尊い一歩なのです。
私たちは普段、無意識に自分を正当化し、「良い人」であろうとします。しかし、ふとした瞬間に、今回のように「言い返してやりたい」という煩悩(怒りや我執)が顔を出します。 親鸞聖人もまた、ご自身のことを「蛇蝎(蛇やサソリ)のごとく」と表現され、どれだけ歳を重ねても消えない心の毒を深く嘆かれました。あの親鸞聖人でさえそうだったのですから、私たちが悩むのは無理もありません。
「性格を直したい」という向上心は素晴らしいですが、縁さえあればいつでも牙(きば)をむくのが、私たちのありのままの姿(凡夫=煩悩まみれの愚かな存在)です。実は、自分の醜さが見えるのは、それだけ真実の光(仏様の智慧)があなたに届き、照らされている証拠でもあります。暗闇の中では、自分の汚れは見えませんから。
無理に性格を変えようとして苦しむよりも、まずは「ああ、またやってしまった。これが私の偽らざる姿なのだ」と認め、その愚かな自分をそのまま肯定してあげてください。その嘆きと気づきの中にこそ、仏様との深い出遇いがあるのです。
拝
縁起寺 釋聴法
本性、悪くないと思いますが。
こんばんは。私から見ると、あなたの本性は悪くないです。それは、自分の行為をちゃんと見直して、是々非々を見ているからです。
何だか天邪鬼な、あるいは怒りに突き動かされた行動を取ってしまった、ということですよね。それは、いつ振りですか?
はい、「なぜですか?」ではありません。事実として、どれほどの間があっての今回ですか?と聞いているのです。
性格、というのが「人の行動原則」だとしたら、今回の場合「常に天邪鬼」であれば性格と言えるでしょう。けれど、読む限り「久しぶりに出た」ものであって、それをあなたが編集者のように「あれも、これも、昔のあれも」天邪鬼だった…とコレクションして「だから私は天邪鬼な性格」とまとめているのではありませんか?
だから正確には、「たまに天邪鬼なことをする」のがあなた。それは程度問題であって、私だって状況が揃えばそんな発言をすることもあります(威張れるものではないけれど)。そうするとね…問題の捉え方が変わるんですよ。
「あの時、あのイラッとした時に、どうすれば良かったのか?」に。
一旦場を離れるとか、「あチチョットショック…」だけ言っておくとか、イラッとしたという体の反応を、キャッチはするけどドライブはさせない。「あ、私イラッと来てる」を観察する自分を育てる。
その後「やっぱ反論しよう」とおもえばすれば良し、「ごもっとも」と思えば受け入れる。それは練習できることなのです。
池の飛び石を見て、最初はドキッとしても、何度か見慣れると落ち着いて対応できるようになる、そんな感じです。
そしてタイトルの回収ですけど、「やったまった自分の」を謙虚に認め、なりたい自分を確認した。これは性格悪い人がやることではありませんよ。性格悪い人はきっと開き直ります。
なので繰り返しですが、「性格変える」とか雲を掴むような課題にしないで、「イラっと来た時の対応を決めておく」。それでよいと、私は思います。
質問者からのお礼
皆さま
まとめてのお礼で失礼します。
この度はありがとうございました。
ありのままの自分を受け入れる、忘れがちになってしまうのこで今後も心に留めておきたいと思います。
言い換えした後、やっぱり自分が悪かったと思い指摘してくれた相手に自分のやったことを受け入れるようなことを伝えたものの、自分が言ったことにずっとモヤモヤしていました(他人からの見え方など)。
もう少し自分のことも許せるようになりたいと思います。重ね重ねありがとうございました。



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