寄り添ってもらえなかった心
こんにちは。
いつもお世話になりありがとうございます。
季節の変わり目のせいか、自分が更年期も含めて不調なせいか、気持ちが落ち込む日が続いています。
ふと振り返ると、義理の両親との同居生活で辛かったとき、夫は仕事に集中していて私の苦労には無関心で寄り添ってくれませんでした。
孤独で責任感に押しつぶされそうでも他人事のようで、その姿に怒りや悲しみでいっぱいでした。
また実家の父が亡くなった時には、母は自分一人が悲しみのパニックに陥って、一緒に悲しみ苦しかった私を一度も気遣うこともなく、亡くなってからもそれは続き『共に』という考えはなく私には寄り添ってはくれませんでした。
いろんな悲しみや辛さを一人で心の中にしまいこみ、寄り添うべき相手から寄り添ってもらえなかったことが今でも深い傷になっています。
後になって相手に私の気持ちを打ち明けてみれば、一応形だけは反省する気持ちを見せてはくれますが、どうしてもその時の癒しにはなりません。
誰にも精神的な力になってもらえなかったことは、今生きていることへの無力感や虚しさにとても大きな影を落としている気がします。
どうしたら自分を立て直すことができるでしょうか?
なにかお知恵をお貸しいただけたらと思います。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分のせいだと思った方が明るくなれる
寄り添って欲しいと願っているだけでは、人は寄り添ってくれません。
精神的にも物理的にも寄り添ってくれる条件をこちらが用意する必要があるのです。
つまり、マネジメント能力(段取り能力)が必要。
私はあなたを責めるために言っているのではありません。
他人への怒りがストレスになるので、自分のマネジメント不足だった、結局は、他人を振り向かせる努力よりも自分独りでやる方が早い(楽)と自分が思ってしまったのだと、自分のせいだと考えた方が、怒りのストレスから解放されて明るくなります。
他人への怒りは本当にめちゃくちゃストレスになりますから、多少譲歩してでも「自分のせい」と思った方が良いことが多いと思います。
ただし、自己肯定感も大切に。
あのときのあの判断は失敗だったけど、それで私の価値がゼロになるわけじゃないし、死ぬわけでもない。結果的に今日も生きてるんだから、私の人生は合格点だ、と思いましょう。
質問者からのお礼
お忙しい中を回答くださりありがとうございました。
私が悲しみ怒りを収めるためにはどうすることが手っ取り早いかがよく分かりました。
お忙しくて過去の質問や私のプロフィールをご覧にはなれなかったと思いますが、私は家族のために孤軍奮闘で生きてきました。
夫の両親をできる限り尽くして支えてきたのに夫はまったく無関心でいた、また、父を亡くして力を落とした母を私自身の悲しみを堪えて支えたのに一緒に肩を寄せあって悲しむことを拒否されたなど、それは寄り添ってもらうのに十分な行いだと思われませんか。
夫婦、親と子は他人とは違い、無条件で寄り添うべき関係だと私は思っております。
一部歪な関係の家庭を除けば、それが自然な感情ではないでしょうか。
怒りはストレス…分かります。
寄り添えない夫を選んだ、また寄り添えない母の元に育った自分の自業自得ということで納得しようと思いました。
なお、他のお坊さまのご意見も伺いたかったのですが、お一人のみで残念に思いました。
お世話になりありがとうございました。