強い女性が苦手です
いつもお世話になっております。
職場の人間関係で、悩んでいます。
同性との付き合い方が、昔からうまくありません。
悪口や毒舌などに同調するのが心底苦手で、そういう雰囲気がとても苦痛です。
避けたり離れていると孤立してしまったり、合わせようと思っても気の利いたことを言えず結局、気の強い方や中心的な方からは面白く思われていないのでは…と不安になってしまいます。
相手の気を悪くするようなことは言っていないつもりですが、真面目過ぎるのか、ユーモアのある笑える話をできたらいいのになと、若い方や自由に話せる方などを羨ましく思っています。
また、今一番困っているのは、あるお局さまとの関係です。
勤務時間中にも私語を慎めなかったり、お喋りに夢中で手元の仕事ががさつな女性がいます。
前までは私もイライラしていましたが、ぶつかっても彼女は改まらずむしろ敵視してくるので、もう今は黙って彼女の仕事を手直ししています。
官公庁内にあるサービス業なので、基本的には接遇はしっかりとしたものを求められるはずですが、マニュアルもなく管理者や指導者は不在に近いので、改まるチャンスのないままです。
私が几帳面すぎるところも、彼女にとっては嫌なんだろうかと…互いにストレスフルな関係です。
日に日に彼女の声も言葉も、耳をつんざかれお腹や胸が騒ぐほど、正直まいっています。
仕事中に彼女から出る話のほとんどは、家族やお子さんの学校関係、その他周りを小馬鹿にしたり、私自身は聞いていて不快になる話ばかりです。
私が会話に加わらなくてもあちらは大声なので、周りに響いて気が滅入ります。
そんな話に付き合っていた新人さんは、感化されたのかやはり雑になっていきました。
最近はお経を唱え、修行だと思って乗り越えるようにしています。
「わがままだね、あれほどのタイプはなかなか珍しいね」と苦笑いする方もいます。
何か彼女には満たされないものがあって、あのようになるのだなぁ…可哀想だなぁと、距離を置いています。
私はいくつか仕事を兼ねており、場所によってはストレスを感じない風土のところもあるので、
彼女のようなタイプはどこにでもいる、諦めて割り切りつつも、転職するまであと少しの間、平穏無事に過ごせるようになるには
まるで子どもだなぁ、かわいいところもあるなぁと、見過ごせば良いのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
冷静に対応しましょう
拝読させて頂きました。
あなたがおっしゃる通りその方は満たされない方なのです。だから仕事場で自分の憂さ晴らしをしているのです。自分のわがままや言い分を押し通しているのです。本当にさびしい愚かな方かと思います。
だからと言って彼女がそのようなことを言ったり態度に出していいはずはありません。彼女は社会人として失格です。彼女は社会に出て何ら学んでこなかった、社会人としてのルールをわきまえていない愚かな方なのです。
そのような方に限って後々から自分は悪くないと言い訳したり誰かをおとしめたりするような悪意や悪言や悪業をなすものなのです。
いずれにせよそのような態度や姿勢で仕事をしている方は周りにも悪影響を及ぼしてかえって仕事を邪魔することになります。
おそらくは周りの方々もわかっていらっしゃるかとは思いますが、しっかりと上司や管理者が対応することかと思います。もしもそのようなことが続いて改善されなければその部署は残れません、いずれ解体されるでしょう。そしてその方は周りの方々から決してよくは思われずに会社にいることはできなくなるでしょう。
反面教師として冷静にみて対応しましょう、遊びのサークルではありませんからね。仕事として冷静になって対応なさって下さいね。
あなたがお仕事なさっていく中でどうなさっていくことが望ましいのかせっかくなのでじっくりとその方を観察なさりながらお考えなさりご判断なさって下さいね。
再度拝読させて頂きました。
あなたのお答を読ませて頂いて本当にその方は心が貧しくさびしい悲しい方なのだなと感じました。人の心の豊かさは財産の有無にあるのではありません。心が貧しいというのは本当に寂しいことなのです。その様な心のままでいては本当の幸せを得ることは決してないからです。
そしてその方が誰のこともも認めないように、その方も誰からも認められない存在になってしまっているのです。
改めて思うにその方が本当に人を自分を大切にすることができるようになり、同時に周りの方々から大切にされて尊重されるようになり、心の底から満たされて幸せになれますようにと切に神仏にお祈りさせて頂きます。そして皆様が共に仲良く心からお互いを尊重なさり心豊かに生きていきます様にと切に願ってやみません。
質問者からのお礼
Kousyo Kuuyo Azumaさま
この度は優しいお言葉をかけてくださり、ありがとうございました。何と申したら良いか、ここまで理解してくださる方がいる、そのことに救われたありがたさでいっぱいです。と同時に、お察しの高さに頭があがりません、まさに仰る通りです。
本当はこらえてこらえて、私も我慢ならず、もう今すぐにその場を去りたい、退職を申し出たいのを抑えて仕事に従事しています。
あと少しの辛抱、と自らに言い聞かせつつ、長文大変申し訳ありませんが、ここに想いを打ち明けさせていただけますか。
今日は「〇〇さん、どうも昨日(〇〇さんの担当の作業で)入れ間違いがあったので、先程私の方で直しておきましたよ」と、お伝えしたところ、お局さま〇〇さんの怒りの引き金を引いてしまった模様です。
仮に私が尊敬し、理解ある先輩の◎◎さんなら、返事は
『ほんと?ごめんごめん、ありがとう』、私「いえいえ…」で済むところです。
お局さま「え、何?ちょっと…昨日のそれは私じゃないから!(怒り口調)やったのは◎◎さんだから!」と、なぜか凄い勢いで説得され、また始まった…と目をそらして頭をかいてしまいました。
(いや、そういうことをいっているのではなくて…)
私は返答に困って、「えっと…つまり、その、違うものが混ざっていて、(今日〇〇さんがそれがないと困るし、営業に支障が出るので)一応、直しておいただけで…」と報告しただけなのです。
確かに昨日は、お局さまが代わりに◎◎さんに頼んで、他の先輩が手伝っていた部分があるのは知っていましたが、
最終的な担当はお局さまで、間違いがあればその人の責任となるのが普通の感覚かと思います。
それが嫌ならば依頼した後にチェックすれば気づけるし、そこまでガチガチしなくとも、見落としは誰にでもあるのでお互いにフォローしあえば良い、だから私も黙って気づいた時点ですぐ直しただけで、まったく完璧を求めるつもりもないのです。
細かいことですがその件は、後々困ることになるので「直しておきましたよ」と事実をお伝えしただけなのですが、言い方が悪かったのでしょうか。いきなり「私は悪くない!」と激昂し、まるでこちらが責められてしまいました。
前々から、何かあると誰それが悪い、と犯人探しに必死です。自分より立場の低い人に対しては、声高に強気に指摘される癖があります。
一事が万事、その調子ですから、何かあればしょっちゅう、特に私など年下の後輩ですので強く責められる割に、ご自分の過ちには甘く、逆に他人から非を指摘されるともう、自分を守るのに必死なのです。
「は?なんで?」と声を荒げるので、周りももう「こりゃ、面倒だ、もう彼女のことは、黙ってほっておこう」という感じです。
いつ、お客様が来られてもおかしくない場所で仕事中に「うちの子は生意気で…」「こないだなんか、私にあんな酷い態度とってきて、ムカついた、あり得なくない?」など、同情がほしいのだな…と思いますが
私よりもだいぶ年上なのに、まるで親自身が思春期の学生の会話のように、家族を罵ってばかりです。それが聞くに耐えず…吐き気がします。
何においても「どこどこの、あのお店は良くない、あの芸能人のお化粧はどうなの?」と不敵な笑みで、まさに恐ろしい表情です。
常に「満足・感謝」の対極、粗探しや批判ばかりなのです。
仕方なく話を合わせようとしても、内心「そこまで言うならあなたはたいそう美人なのか」と思えば、はっと気づく時、ご自身の髪はぼさぼさで、制服のブラウスもシワシワで…あぁ、自分のことが見えていないとはこういうことか…さぞ育児家事でお世話に忙しいのだな、とあえて見ぬふりをしますが
全てにおいて、その方の出すものや、立つ鳥のあとは汚れや雑然が当たり前で…これじゃ後に来たお客様もクレームが来るし、直さないと…の繰り返し、二度手間続きです。
とにかく仕事中は私語に興じている時以外は、テレビに気を取られていたり、黙って作業している時は表情も姿勢も不機嫌そうなので、「きっと小さな頃からお嬢様として育てられてきたんだろうね…」と別の先輩にたしなめられたこともあります。
体中から「人に尽くすのが嫌で嫌で仕方ない」オーラが伝わってきたり、作業の合間に一言「お願いします」「ありがとうございます」「すみません」と声をかけても無返事など、どうしてそこまで感じ悪くなれるのか…とにかく、ああはなりたくないな、気をつけよう、と視野から消すのが精一杯です。
この度はあらためて、いろいろと勉強になりました。
日頃からご修行や、お掃除に一意専心なさるお寺の僧侶の皆様の姿を心に、私も功徳を積んで見返りを求めずにその方の行いに心乱されることなく、仏道を成ぜんことを…の一心でまた、明日から仕事に励みたいと思います。
延々と書き連ねてしまいましたがここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
Kousyo Kuuyo Azumaさま
厚く尊きお導きを二度もいただき、本当にありがとうございました。幾度となく読み返し、大変励まされました。
週が明け、心機一転、仕事に勤しみつつ、解決策を探していました。
この週末は転職も考えた私でしたが、おそらくどんな職場でも往々にいる存在かと思うと、環境を変えたところでそれが解決策として本当に賢明な選択なのだろうかと、ふと冷静になった一日でした。
結局のところ変えられるのは相手ではなく自分、忍辱を学ぶ時だと思ってしのぎました。
今日も彼女は相変わらずの調子でしたが、心強いアドバイスのおかげで自らを平静に保つことができました。
「あのお局病は、一生治らないね」と周りもうなずいています。
泥中の蓮、という言葉も今回知りました。
大切なことは、自分と合わない人や不快な目に遭っても、決して動じず、意地悪さに影響されずに、耐え忍んで正しく冷静に、誠を尽くせば理解者が現れて、助けの手を差し伸べてくれる機会にも恵まれ、あるもの尽くしの幸せに辿り着けることだとわかりました。
まったく同じ空間にいても、ある人は朗らかで勤勉で、お客様に感謝される仕事の喜びにひたる一方で、いつもその人の心や声や表情は疑心暗鬼でまるで、別の世界にいるようです。
ということは、心の持ちようは自分次第で、生きている「今、ここ」の瞬間が、幸せか否かを選び取れることを教えてくれた、反面教師に感謝の念さえ湧いてきます。
周りがもし、心優しく何でも先回りして不自由なく進めてくれる先輩ばかりだったら、私は甘えて弛んでしまい、今よりも成長出来なかったかもしれません。
人としてどうあるべきか、自ら悪い手本を見せてくれた先輩に感謝して、今後も修行を積んでいきたいと思います。
この度はKousyo Kuuyo Azumaさまの、骨惜しみなき慈悲のお心遣いに、本当に感謝しております。