地獄はあるのか
私は昔から死んだ後どうなるのかという事を考えてしまいます
考えても何十年後かには死ぬ運命しかないし考えたらキリがないなと自分でも思いますがやはり考えてしまいます、友達が生きる意味あるのかなとか死にたいって言っているのを見ると余計自分も考え込んで死ぬのが怖い、生きたいと思う事が年々増してきています
正直臆病者で地獄に行きたくないと思ってしまいます、あの時やめておけば良かったと今でも後悔するようなことを思い出して悩んでいます
例えば小学生の頃人の落し物を落し物入れから取ってしまったり、高校生の頃ファミレスで携帯を充電する為に盗電してしまったり…
このような事をしていてはやはり地獄行き確定してしまってるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
誰が決めたのでしょうか。
死んだら地獄へ行く!
と昔から誰かに教えられてきました。そのように育てられました。
でも、本当に死んだら地獄だった。と誰も今まで言っている人もいません。
果たしてどちらなんでしょうか?
お坊さんがこんなこと言うと変かもしれませんが、事実としてお話しているだけです。では地獄はないのか。ということですが、今こうして生きている中で、地獄のような様相がたくさんありますよね。そして怒りの心も実は地獄と言えるでしょう。喧嘩や戦争も地獄のようです。人としてモラルがない行動もどうなんでしょうか。
では、天国はあるのか。も同じように考えれば、幸せな瞬間っていうのはそうではないでしょうか。家族が信頼しあって楽しく笑顔でいる状況は、天国、極楽、浄土と言えませんか。
こうしてみると、地獄も天国、ユートピアもみんなこの世で体験できるということです。幸せのまま、肉体が滅び(それを死といいます)たら、そのまま天国と言えましょう。でもそうでない時はご想像にお任せします。
生まれてくる前のことも分からないのに死んだあとの世界もよく理解されていませんね。本当はみんな知っている(魂は)と思いますが、そういうことはすべて忘れて、この世を真剣に生きて、様々な体験をしているのが人間だと思います。
ゆえに、死後に地獄へいくのではないかと心配するよりも、今日、明日を楽しく生きれる努力をした方がいいと思うのですが。
もちろん、死んだらすべてが無く訳ではありませんが、私たちが考える以上にもっと難しい仕組みになっているのでしょう。
≒682京1120兆年『往生要集』
”やはり地獄行き確定してしまってるのでしょうか?”
はい、残念ながら確定しています。
というか、どうもあなたは地獄は死んでから行くところだと思っているようだが、あなたは死ぬまでもなくもうすでに地獄の真っ只中にいるじゃありませんか。
問題は、今生きているうちにそこからいかに脱出するのか、もしくはせめて地獄から救い出されることの約束された身となるかが勝負なんです。あなたの友達のように難癖つけて死にたがっている人たちというのは、その千載一遇のチャンスを自ら放棄し、永遠とも思える天文学的数字の年数を地獄で過ごそうとしておられるわけだが、本当それでいいのだろうか。
とりあえず、あなたはどうしますか?
地獄行き決定を返上するのか、それともあきらめて素直に行くか。
仏教には地獄から脱出、地獄行きの確定を覆す力があるのですが、もしよろしければ学んでみませんか?
ちなみに仏教ではたとえ今の苦悩が屁でもないほどの最低最悪の地獄の底に堕ちても、およそ682京1120兆年くらい耐えれば開放してもらえると教えていますが、キリスト教が教える地獄はいわゆる<永遠>であって、もう二度と出てこられません。どっちが正しいのかは検証のしようもありませんが。