hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

中絶で得たもの…。

回答数回答 1
有り難し有り難し 26

「孫の顔を見せるのは長女の私が先だから!」
の一言から私の悩みは始まりました。
その頃はまだ私たちはお付き合いの状態で、義姉(長女)は他県で結婚間近。
中絶をしても入籍だけはしてあげる。という旦那の両親に宥められて中絶し入籍しました。
そらからというもの義姉に空気のような扱いをされ、無視されてます。
(しばらくして子供を授かり、幸い 義姉の子供より遅くに産まれました。)

旦那の実家で同居してます。家事全般私がしているのに、お姑には、昼間の外出や忘年会などをしようものなら嫌な顔をされ、しまいには「気の使い方が下手」と言われてしまいます。

年に一度帰ってくる義姉に気を使い、でも無視されて、お姑とには疎まれる。
それだったら13年前に中絶せずに旦那と駆け落ちのようなことをした方が幸せだったのか…。そう思う事があります。
(中絶をした)あの子は息子よりひとつ上で…、女の子だっただろうか。男の子だっただろうか。
辛いことがあると考え、後悔してます。

義姉との関係はこれ以上良くなることはないと思うのですが、帰ってくるとなると憂鬱でストレスです。
お姑はあまりにも酷いと早くお迎えが来ないか…。なんて縁起でもないことを思ってしまいます。

私の心安らぐ場所がありません。
旦那に話をすると、共感してくれますが、言い過ぎると怒りだします。

どうしようもない私の散らばった心をとりもどす言葉をください。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人のコトなど気にしなさんな

貴女はあなたを生きるべきです。
人に遠慮なんかいらない。
貴女はあなたで生まれながらに単独、ソロ活動。
何処に嫁ごうが、誰と結婚しようが、あなたはアナタ。
誰とも上下関係など存在しません。
遠慮し過ぎです。
何で人の家に入ったからって全部自分を押し殺さなきゃいけないことがありますか。
「そうした方がイイと思ったから」
ですが、それはアナタが勝手に思い描いた「こうしたほうがいいだろう」と思い描いたセルフ・ストーリーです。
誰も強要していないです。
言ったかもしれませんが、それを「そうした方がイイと思った」のはあなたなのです。
自分のルール、自分の独自の世界観を捨てて、自分から自由になることが仏道です。
中絶を通してあなたは、様々な紆余曲折を経て仏道に辿り着きました。
これからは人に遠慮なく、人にへつらうことなく、自分の信念を信じて生きてください。
ただし、自分の信念といってもマイワールドやマイ・ストーリーに溺れないように致しましょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

貴女はあなたを生きるべき…。

ありがとうございます。本当にありがとうございます。
何度も回答を読み返しました。
胸がきゅっとなって、今にも泣いてしまいそうです。

この言葉を励みに、もう少し自分らしく生きていきたい。もう少し自由に生活が出来るように努力したいと思います。
あくまでも少しだけ…。

わがままにならないようこの言葉をお守りにします。

ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ