父の死
3週間前に最愛の父が76歳で亡くなりました。父の誕生日の次の日でした。昨年9月に骨髄異形成症候群という、白血病手前の血液のがんと診断されました。早期発見で、今すぐどうこうなると病気ではなく、ゆっくりずっと付き合っていく病気でした。1ヶ月ほど入院し、退院しましたが、その後原因不明の熱に悩まされ再び入院し、肺炎で亡くなりました。
私は遠方に住んでいたため、入院中のお世話や、お見舞いも行けず、会えたときは、会話はできたものの、今日か明日の命と言われ、沢山のチューブがついて動けない父の姿でした。8月帰省した時は、旅行に行ったり元気な父でした。
今でも入院中のお世話ができなかったことや、色んな恩返しが出来なかったこと、父の死が受け入れられず、悔いるばかりです。お葬式後も、子どもの学校があったため、次の日に自宅に戻らなければいけなかったこと、次は四十九日しかお参りができないこと、罪悪感しかないです。
自分が遠方に住んでいる事に、とても後悔し毎日泣いてしまいます。遠方に住むときに、ある程度の覚悟をしておくべきだったのか、転勤族なのでもう少ししたら、戻れるかもしれないと、期待があったため、元気な両親に会えるのを楽しみにしていました。
今でも、父の「まだ死ぬ心の準備ができていない」と泣きながら言っていた言葉と表情が、頭から離れません。思い出しては涙がとまりません。私にはまだ父にしてあげることがあったはずと、後悔ばかりです。四十九日も泣いてしまいそうです。心穏やかじゃない自分が不安です。
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想いは必ず伝わっています。
初めまして、今日は。
同じく、最愛の妻を脳腫瘍により病魔に奪われ、祖母は実家で在宅介護。父が心筋梗塞により入院中に朝、祖母は亡くなっていました。その後、追うように父も亡くなりもっと何か出来たのではないか・・と自分を責め、追い詰めた事も御座いました。
命の大切さや、この身体は沢山のご先祖様や父母の想い・願いが込められている事や人生はたった一度しかない。明日や昨日でないこの瞬間という今を生かされているという事に気づきを与えて頂けました。誰かの為に生きて、誰かが私の為に生きているということも。
人は亡くなったら終わりではないと思っています。四十九日まで彼岸に旅立つ大切な人も、此岸に残された私たちも、”大切な命の時間”を過ごす時だと思います。大切な人の霊魂がスッと入って共に過ごし、残された私たちは向き合って思い切り悲しみ涙を我慢しないで流して、そして涙が止まったら又、笑顔になり前を向て歩み出す時に、大切な人は彼岸という新たな冒険旅行に旅立つのです。その時間こそが大切な四十九日だと思います。
お孫様やあなたが元気でいること・・それがお父様が何よりも願っていることだと思います。残された私たちがいつまでも悲しむ姿をみるのはとても辛く、笑顔で過ごすことが何よりもご供養です。
純粋な祈りは必ず届きます。手を合わせる姿をみて微笑んで応えてくれます。
お仏壇は、此岸と彼岸を繋ぐ電話ボックスだとも私は思います。いつでも手を合わせれば時空を超え、側に来てくれると思って毎日、手を合わせ感謝の想いをお伝えしています。
決して、お父様は恨んでいたりなんかしていません。苦しみやしがらみから解放され、あなたの事やご家族、ご友人様が仕合せに過ごされることを見守っていられます。
今は、決して頑張らないでください。悲しみを涙を我慢せずにお過ご下さい。その辛さは時が過ぎるのと一緒で、留まりません。
いつでも苦しい時、辛い時はここに来てください。
亡きお父様に心からお祈りをさせて頂きます。
南無大師遍照金剛
合掌。
本当に辛いですねぇ
御質問有難うございます。お父様が御浄土に還られ心から哀悼の意を表します。
今の私の気持ちとしては、お父様と骨髄液が一致するのであれば提供できたかもしれないという事です。本当に御浄土に還られた事は辛いですが、お釈迦様の教えに四苦がありますが、生老病死の苦しみは避けられないのが事実です。浄土真宗の教えに「俱会一処」という事がございますが、お父様が御浄土に還られて永遠に出会えないのでなく、いずれ私たちも御浄土で出会えるという教えです。本当に辛いと思いますが、悲しみを乗り越えて頑張って下さい。合掌
質問者からのお礼
永寛様回答ありがとうございました。
笑顔で少しずつでも前に進めそうです。
本当にありがとうございました。
回答ありがとうございます。なんとか乗り越え、これからもがんばっていきます。
本当にありがとうございました。