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罪の意識が消えない

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有り難し有り難し 31

以前何度か相談させていただいております自分の過去の不倫のことに対してです。
一番最初に相談させていただいてから月日が経ち、その間に自分がどのように償えばよいか日々考えました。
私の場合は奥様が知ってるかわからないため、奥様に直接償えません。
だから自分がどのように償えばと考え、実行してもただの自己満足にしかならないことは重々承知しております。
その上でSNS上で自分が不倫経験者だと公開してほかの不倫被害者の方とお話しさせていただき、懺悔、反省いたしました。
また自分のような者を増やしてはダメだと不倫がいかに人を傷つけるか、不毛なことかを発信いたしました。
(現在はそのSNSはとある理由で削除し現在は何もしておりません。)
このような行動を起こしましたが、最近芸能人の不倫が多く、その芸能人に対するバッシングを見て自分が言われてるようにしか思えず、結局自分のことのように思えるということは何も反省できていないのではないか。と考えました。
反省は一生かけて行うものだと思っておりますので結果がすぐ出るとは思いませんが反省とは別に自責の念は消えません。死にたくなるほどです。それくらいの業を犯したのですから当たり前といえば当たり前ですが
私が死んで奥様が喜んでその後の人生幸せ!と思えるなら別ですが
そんなのですむはずはないので死にたいと思いますが死んではいけないと思います。でも死にたいと思いながら生きるのはつらいです。
どういった心持ちで生きていけばよいのでしょうか。
大変稚拙な文章で申し訳ありませんが一読していただければと思います。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

償うとはどういうことか

罪を償うとはどういうことでしょうね

「償う」の辞書的な意味は

1 金品を出して、負債や相手に与えた損失の補いをする。弁償する。
2 犯した罪などに対して、金品や行為でうめ合わせをする。

だそうです。

あなたもここに留まっている。それは人間の考え得ることなのだからしょうがない。しかし仏教の教えから見れば浅い。浅いから生きる現実には間に合わない。

結局は、犯した罪の価値を自分で計って、それと同じだけの罰を自分に与えてやれば帳消しになるという考えでしょう。自分の損得勘定の天秤が合えば解決すると考える。

だが現実はどうか。罪の意識が消えない。当たり前である。犯した行為がなかったことにはならないのだから。

ならばできることは、罪を償うとは、罪を背負うこと。自分というものの事実を知ること。
価値観の天秤を合わせることが目的ではない。天秤自体を問題とするのです。自分の価値観を良しとして、それを前提として考えるのでなく、自分の価値観自体に問題の所在がある。

はたして私たちは悪い事はやめ、良いことのみをなすことができるような立派な存在なのか?

そうならば不倫などせずに済んだはずである。

でもそうはできなかった。あなたはその時はそう為すことしかできなかった。そういう縁の中にいたのだから。

開き直れというのではないのです。縁さえととのえば何だってしてしまう自分の存在の事実を認めるのです。

楽になりたいでいしょう?きれいな身になりたいでしょう?でもなぜか楽を求めて苦しんでいる。

この苦しみは私が受けるべきでない不当な苦しみであると、なぜ私が苦しまなければいけないのかと、自分の現実の苦から逃れようとして苦しむ。

そうではなく、この苦しみはまさに私が受けるべき苦しみでしたと。罪を背負って自分の身の事実にうなずき歩んでいく。真正面から苦を受け止めていく。実はそこに苦が苦のままにとどまらず活かされていく道が開けるのです。

自分の身の事実がどんなに愚かで弱いものであろうと、周りがあなたを責め、あなた自身もあなたを責めようとも、仏教の教えはあなたを排除しない。

そんなあなたこそ救いの目当てである。救いとは自分が思う様な楽になることではない。自分の苦を引き受けさせいただくところに自分の思いを超えた本当の安楽があるのです。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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罪に気づいた時点で、懺悔されています

初めまして、今日は。

心からの叫びを受け取り致しました。結論から言いますと、仏教では男女の淫らに・・と言う事は十善戒にも記されている通りですが、不倫を肯定は致しません。かといって寛容なれともお伝えするつもりも御座いません。それをやめたいのであれば、相談することもなく断ち切ることが出来ると思います。

私のお寺にも、不倫で・・と言いうお話のご相談が御座います。

その不倫が、リスクを背負うほどのものがあるのなら続け、なければやめてください。人間の心は常にコロコロ・・変わっています。気持ちが揺らぎ、そうした過ちを誰でも犯してしまう事もあるわけですが、この先の一線を越えてはならない!というボーダーラインを作って意思をしっかりと持つ事も大切だと思います。様々な”欲”。男女共に人というものはこういう事もあり得ると心のどこかに留ておく必要があるのかも・・と思います。そのラインを超え、身も心も焦がすのは自分自身なのですから・・。良く、懺悔されたいとお話がある時に”蜜厳院発露懺悔”(みつごんいんほつろさんげ)文をお伝えしています。お坊さんに向けた懺悔文ですが、一般の方にも当てはまる事もあると思います。

完璧な人はいません。誰でも気が付かない内に過ちを犯してしまう事があります。それに気が付くか?気が付いても知らん顔をするか・・

気づきを与えられ、反省をした時点で懺悔された事と一緒だと思います。同じ過ちを繰り返さないためにも、意思をしっかりと持って人生はいくらでも自分で描き演じ運命と一緒に変えられます。無理なく周りに出来る事を無理なく善きことを返して行ってください。それがご恩返しです。趣味でも、仕事でも、全て”ほどほど”で良いのです。のめり込んでしまうから、大切なものを見失ったり、疲れてしまいます。

身や心をを滅ぼさない為にも、”ほどほど”で、あなたらしく迷子にならないように人生と言う冒険旅行を仕合せにしっかりコツコツと歩んでください。

合掌

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