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良心の呵責や罪悪感を生きる糧にすること

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有り難し有り難し 18

頭の中が混乱し,同様の質問を繰り返してしまっています。20年前に1度,15年前に1度,何もしないから泊まっていってと言われてそのまま不貞行為に及んでしまいました。1度目の直後になんでこんなことをしてしまったんだと自分に絶望したにも関わらず,同じような過ちを5年後にしてしまったことを今でも振り返り,なぜそんなことをしてしまったのかと当時の状況を毎日思い返しています。欲情した自分、犯してしまった事実に嫌悪感と罪悪感を感じています。妻は何も知りません。(と私は思っています)連日のようにテレビでこういった話題が取り上げられ,「私は絶体に許せない。どんな状況であれ1度でも許せない」と妻が話しているのを聞くと,自分からではなかったから・・と心の中で自己弁護してた自分としては申し訳なくて苦しくなります。朝、目覚めてから寝るまではずっと申し訳ないという罪悪感や自責の念,これからどうなるのだろうという不安や恐怖,自分の生き方はこれで良いのかという混乱,で疲弊している状態でした。妻は笑顔で私もとても幸せです。でも,このまま「言わない」ことが正しいのか,言わないでいることに妻への申し訳なさを感じます。最も嫌いなことを2度もした男が夫でいるのです。このままで良いのだろうか?正しい生き方なのか?と迷います。妻の笑顔を守るため,良心の呵責に苦しむのは自業自得なのだからひたすら耐え続けて生きる・・・ことを自分は選択して今日まで来ました。自分の心身の限界に恐怖を感じてもいます。でも,勝手ながら妻を絶望させたくないのです。「そうは言っても結局は自分自身の保身でしょう?」「すべてを告白すべき」とのご意見も頂戴したのですが,やはりその勇気は持てなかったです。この生き方は仏教的に,お坊様から見ても卑怯な生き方なのでしょうか?自分の生き方は自分で決めなくてはならないとは思っています。でも,自信が持てないのです。誰にも相談できないのでハスノハの皆様に「考え方」「生き方」のアドバイスをいただきたいと思って何度も質問させていただいておりました。一生後悔しながら妻と生きること,は許されないのでしょうか?残り2つの選択肢,①自分が病気で死んでしまう。そうすれば誰も傷つかないで済む。②すべてを告白して別れる。100%,妻は絶望します。悲しませたくはないです。どうすることが誠実だと思われますでしょうか。ご教示願います。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ここだけのお話しになさって下さい

 そのお話は御自身のお墓まで持っていって下さい。
 奥様に告白してラクになれるのはあなた御自身ですが、それ以降その何倍も奥様が苦しむことになるかも知れません。
 本当に御自身で命断つお気持ちがおありですか…あったとしてもそんな気持ちは金輪際捨てて下さい。
 そして良心の呵責に苦しむ分以上に奥様に優しく接して下さい。
 もちろんそれは一生です。
 奥様のためにどうぞこのお話はここだけで留めておいて下さい。
 そして今後もどうしても…というお気持ちになることあれば,どうぞお近くのお寺にお参り下さい。仏様に詫び,許しを請うて下さい。
 そしてその後、奥様に優しい言葉を掛けて下さい…。
 どうぞご夫婦仲良く過ごされますように…念じ申し上げております。

 追伸…「墓場まで持っていく」とは、『このことを一生奥様に告げないで、秘密として御自身で保持し続ける』という意味です。「お寺で許しを請う」とは『自身が罪悪感で押し潰されないように、仏様にお願いする。もう許して下さい。助けて下さいと御願いする』と言う意味です。
 「罪悪感や自責の念で苦しいのは当然で、その事で破滅的な人生になってもそれも仕方のないことで罪から目を逸らさない正しい生き方」…だとあなたが告げられたとして、それでご納得なさいますか。生きていけますか。
 仏教とは この何ともならない我等が、何とか生きていくための教えです。その為に仏様のおはたらきが、おすくいが完成され、我等に届けられています。そのことを頂いて下さいませ。
 これ以上は別途 ご相談をお立て下さい…。
 

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

小林様
ありがとうございます。お言葉通り自分が今できることって言わずに尽くすことなのかなと思います。
ただ、罪悪感を持ち続けることがこれほどまで心身に不調をきたすことに正直恐怖でした。
お礼が遅れてしまったのは解釈の仕方で悩んだためでした。もしもよろしければお教えください。
墓場まで持っていくというのは、罪悪感を持ち続けるということでしょうか?
対して、お寺で許しを請うというのは罪悪感を手放すために許してもらうということなのでしょうか?相反する行為のように思うのは浅い理解でしたでしょうか?
罪悪感や自責の念で苦しいのは当然で、その事で破滅的な人生になってもそれも仕方のないことで罪から目を逸らさない正しい生き方だ、ということになるのでしょうか?

小林様
追加の質問にもお答え頂き、本当にありがとうございます。罪悪感を持ち続けながら生きていくための仕組み?とでも言いましょうか、仏教の考え方がわかりました。大変参考になりました。罪悪感を死ぬまで、誰にも迷惑をかけずに背負い続けることってとても難しいことのように感じていた最中でしたので、最後、自分がすがるのは何かの宗教なのかなと思ってました。苦しくてたまらない日々なのでまた書き込みしてしまうかも知れませんが、またご指導頂ければ幸いです。この度は誠にありがとうございました。

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