憎しみがなくなりません
私は大学生の頃7人ほどのグループでつるんでいました。2年生になった頃そのうちの1人を好きになり告白しました。ですがグループ内では付き合ったり2人で遊んだりはしないようにしていると振られてしまいました。それならば仕方ないと諦めていました。
しかし、その後その子がグループ内の人間と付き合い始めたということに、当時勘の鋭かった私は気づいてしまい、嘘をつかれ、騙されていたことにショックを受け傷つきました。
それから私は居心地の悪さもありグループから離れ1人で行動するようになったのですが、付き合っている2人とはサークルが一緒でした。2人は私を傷つけたという自覚がありながら平然な顔をして話しかけてきます。
その時にふざけるなと言えればよかったのかもしれませんが、周囲にはその事を知らない人もおり、空気がおかしくなるのを嫌い我慢を重ねました。
その頃よりショックは怒りや憎しみへと変わっていきました。
そんな我慢を続けようやく卒業まで耐えきることが出来ました。彼らと離れることが出来れば時間が忘れさせてくれるだろうという考えでいました。
ですが現実はそう甘くはありませんでした。
グループを離れてはいたもののその2人以外の友人とはTwitterで繋がっていました。その友人がその2人と仲がよくゲームなどをしている為ちらちらと名前が出てきます。
2人は私を傷つけ居場所を奪ったくせに何も感じすのうのうと生きていると感じ、更に憎しみを深めていくこととなりました。
憎むようになってから6年経った最近でも忘れるどころか酷くなってきています。
私自身に多少実害が出たとしても、彼らに罰が下るのであれば一向に構わないと、呪いをかける方法を検索してみたり、怖いくらいに願いが叶うと聞いた安井金比羅宮でお願いしようかとも考えるくらいです。
最近では憎しみを抱え攻撃的になってしまったり、上手く眠ることが出来なかったりしています。私自身の精神が消耗してしまっています。また、恨みをTwitterで呟いていたところ、友人から関係を切られるといったこともありました。
もう自分一人ではどうしようもできないと感じ相談させて頂きました。恨みを晴らす方法等何かアドバイスを頂けると幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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しなやかな枝になりましょう
こんにちは、はじめまして。
折角思い思って告白したのに、「グループ内では付き合ったり2人で遊んだりはしないようにしていると振られてしまいました。それならば仕方ないと諦めていました」という経緯だったのですね。その結果、「嘘をつかれ」、「騙されていた」、「ショックを受け傷つきました」、そして「ショックは怒りや憎しみへと変わっていきました」という経過を辿ったのだと思います。
ここまでなら、内面の整理をどうするかという事に問題が絞られるのですが、ぷにおさんは、実際に「実害」が出ています。「呪いをかける方法を検索」、「上手く眠ることが出来なかったり」「精神が消耗して」「恨みをTwitterで呟いていたところ、友人から関係を切られるといったこともありました」ということです。
当方から拝見するに、ぷにおさんは真っ直ぐな枝、のように思えます。人間は誠実であるべき(嘘をついてはいけない、だましてはいけない)、他人を傷つけてはいけない(ましてやその加害行為に鈍感であってはいけない)という正論を突き詰めすぎているきらいはありませんか。
ぷにおさんは、気付かないところで誠実でないことや、他人を傷つけることはないでしょうか。私は、少なくとも自分が気付かないところで、どれだけ他の人に迷惑をかけているか把握しきる自信はありません。傷つけられたという思いだけに囚われると、傷つけている自分に思いを致すことに手が回らなくなる恐れがあります。
勿論、人は正論のごとく生きるべきではありますが、実際は口に、心にしてはいけないことをするものです。傷つけ傷ついて生きているのです。人は、「お互いさま」です。
真っ直ぐな枝は折れやすく、しなやかな枝は折れにくい。
どんなショックを受けても、相手に事情があった、自分もその立場だったら同じことをしていたかも・・、などと考えならば、受け流すこと、そして自分への省察を深めていくという点で、人間として芯の有る人格を熟成していけるのではないでしょうか。
ご参考まで。
では。
質問者からのお礼
書いてないことまで見抜かれてしまっていてびっくりしました…特に「まっすぐな枝」の部分など。ありがとうございます。
彼らは彼らなりに私を傷つけないように黙っていたり、嘘を着いたのだという考えには至ったことはあるのですが、それでもなお恨む気持ちが消えないのです…
それでもとにかく話を聞いて頂けて少し冷静になれました。改めてありがとうございます。