何が良い事で、何が悪い事なのかわからなくなってしまいました
先日まで、年に2度ほど会うだけという形ながら、遠距離で初恋の相手といわゆるW不倫の形でお互いを想いあってきた者です。
ですが、相手にとって一番大事なのは、やはり奥様の笑顔を守る事なのだろうと気付き、毎日のように決心が揺らぐものの、身(心)を引く事に致しました。
相手は子供の頃のお母様の虐待にも近い育て方の影響で、自分の希望や気持ちを口にする事がうまくできず、すべて飲み込んでしまう人でした。
奥様は、結婚して十数年一切家事をされず、手料理の味もほとんど知らない。
出先で気分が悪くてベンチで横になるような事態になっても、お買い物優先で放置されるような方な様子ですが、本人は、「結んだ縁は切れない」「自分は幸せだと思い込ませるのだ」と、言っていた事があります。
「本人がそれを受け入れると決めたなら、それが幸せである」と思いつつ、それを幸せだと”自分に思い込ませる”というのは何かが違うと思い。遠くからですが、「心から相手を想い、想われる」という事がどういう事か伝えてあげたいと思い、心を寄せていました。
煩悩から放たれるためには、厳しい状況さえも受け入れる事が一つであろうとは思いつつ。
この交流の形が不倫であった事も、虐待から逃げられない事を受け入れてしまうという解決方法も。
一体何が正しいのか、正しくないのか。
また、正しいのか正しくないのかと問う事の意味も、良くわからなくなってしまいました。
心が平安でさえあれば、それは幸せだと信じて良いのでしょうか。
彼はそれで幸せなのだと信じられない事で、うまく心を離せず、苦しんでいます…。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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あなた自身の悩みに気づくこと
itranさん
あなたは、不倫のお相手を心配なされているようですね。
ちょっときついことを言わせてもらいますね。
相手の方は、自分の家庭の中で安心できる道を選んだわけです。そこでお話は終わりです。
あなたは、あなたのご家庭の中の問題に目をむけず、不倫のお相手の心配をすることで、現実から逃れようとされてはいませんか?
問題はあなた自身が安心して過ごせる場を作ること。そこに目を向け、あなた自身の本当の悩みに気づくことが必要な気がしてなりません。
質問者からのお礼
邦元様
たくさんの質問が殺到しているという時に、わざわざ私の質問にお答えいただきましてありがとうございました。
世の中は今、お互いが傷ついたとか傷つけたとかいう事を怖がるあまり、本当に必要な言葉にたどり着くのが難しい時代です。素直に厳しいお言葉をいただける事こほど有難い事もありません。
私の安心…。そんな方向から考えてみた事もありませんでした。
悩みはなぜ生まれるか…。人と関わるのは本当に難しい事ですね。
かといって関わらずに生きる事もできない中で、違う角度から現状を見る目線を頂きました事に、心よりお礼申し上げます。
ありがとうございます。