憂鬱な思いにとらわれたくない
ご覧いただきありがとうございます。
大学生です。私の悩みは「社会情勢への憂慮にとらわれてやるべきことに集中出来ない」ことです。
最近、新型コロナウイルスへの恐怖や、現在の政治社会状況から考えた日本の未来への絶望によって、憂鬱な気分になり心が沈んでしまう事が多いです。就職活動や卒論研究などやるべきことは多くあるのですが、上手く進められていません。情けない話、頑張っても、どうせ暗い未来にしかならないのではないかという思いにも駆られています。
社会状況に対して自分一人が嘆き悲しんでいても何も変わらず、未来を過度に恐れるよりも個人が出来る事をやるしかない、つまり毎日を懸命に生きるしかないと自分を奮い立たせようとしたこともあります。また、こうした悩み自体、自分が現在恵まれた環境、つまり就職活動や卒論研究に集中しさえすれば生きていける環境にいるから生じる悩みであり、大した悩みでないのも自覚しているつもりです。
それでも、憂鬱な気分にとらわれてしまう日常が続いています。こうした気分にとらわれることなく目の前のやるべきことに集中するにはどうすればよいでしょうか?
僭越ながら、ご回答の方お持ちしております。
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思考が拡散していませんか
こんにちは、はじめまして。
これから大事な時期を迎えて、様々に煩悶されていることでしょう。「社会情勢への憂慮」を思われるお気持ちは、尊いことだと思います。ことことを踏まえて、感想を一言申します。御専攻が分かりませんので、就職活動や卒論研究などをどういった分野を指向されているのかも判然としません。この為、私の言うことは的が外れるかもしれませんが、その上でご参考になれば幸いです。
その「社会情勢への憂慮」の関連を論文にして、また就職活動につなげてはいかがでしょう。学問も会社も「社会」の一部です。「憂慮」することと現在の学問上との接点はないか、就職するならばその「憂慮」を一つでも解決しようと探究する会社で働けないか。そう考えれば宜しいのではないでしょうか。「憂慮」と学問、就職をもし切り離して「憂鬱な気分にとらわれてしまう日常」を送っているならば、それは両者を有機的につなげて考えられていないからではないでしょうか。つまり、思考がフォーカスされておらず、拡散してまとまりがない状況になっている、ということです。だから、様々な事をあれこれ考えすぎてしまって、持て余して憂鬱になっているのだろうと想像します。いかがでしょう。
冒頭に申しましたが、あなたは「日本の未来」そして社会をよくよく考えているから、「絶望」「憂慮」を感じるのでしょう。それは素晴らしいことです。
未来、社会は、現在の自分の足元から変えていける、このことを知ってい頂けたら幸いです。現代の社会は心配な点もありますが、先輩諸氏が学問で、会社で築き上げてきた集積の上で維持発展されつつあります。あなたも今からその一員になってい頂けると嬉しいです。
ご参考になれば。
質問者からのお礼
お答えいただきありがとうございました。
確かに、自らの思考と活動を一貫させることは非常に重要だなと思いました。色々と難しい社会ではあると感じていますが、自分でもなんとか貢献できないか考えてみようと思います。