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罪悪感とどう付き合っていくか

回答数回答 1
有り難し有り難し 6

たくさんのご相談が来ている中失礼いたします。

自分が頼んだことで、もしかしたら相手が怪我をする可能性があったのではないかと罪悪感を感じ、それをずっと考えてしまいます。

引っ越しの手伝いを申し出てくれた男性に、シーリングライトの取り付けを頼みました。
危なそうかなと思い、最初は頼む気はなかったのですが、会話の流れで取り付けもしようということになり、私も「まあ心配しすぎかな」と思い、頼んでしまいました。

思ったより天井が高かったので、脚立の上につま先立ちしたり、
ちょっとふらついたりした場面もあって、結果怪我無く終わったのですが
後々考えると「もしかしたら私の頼み事で彼が怪我をした可能性もあったのではないか?」と後悔しました。

この件を悶々と考えることでかなり時間を使い、気分的にも落ち込んでいました。
今回は「多少怪我をする可能性があったかもしれないけど、そこまで危険な作業ではない。(まわりにテーブルなどの固い障害物はなく、可能性としては床に倒れたときの打撲。どこかで頭を打ったり・・などということは無さそうなので)結果怪我なく終わったのだから、そのことに感謝して、今後はこういった類を人に頼むのはやめよう」と結論付けました。

それでも時々思い出して考えてしまう時があります。
学生の時から強迫の気があるため(戸締りやガス栓しめ等を何度も過剰に確認してしまう)、この罪悪感が行き過ぎたものなのか、正常なものなのか、よく分からなくなってしまいます。

私が神経質すぎるのでしょうか。
あれくらいは大丈夫だっただろうと思う自分と、あんなことを頼んでしまったと思う自分がいて、客観視できない状態です。

相手に、「危なかったかもしれないよね、あんなこと頼んでごめんね」と謝りたいですが、その謝罪も自分の気持ちを楽にしたいだけの謝罪な気もしてしまいます。
この気持ちをどう処理すればよいでしょうか。何か良いアドバイスがあればご教示いただきたいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「感謝」

人の道に背くような行いは見受けられないので、罪悪感に苛まれる必要はないと思います。

仮にあなたの依頼で相手が怪我をしてしまった場合は、自責の念を抱くこともあるかもしれませんが、実際何もなかったわけですし…

相手に対しては『感謝』を伝え、『謝罪』はやめたほうが良いでしょう。

「危なかったかもしれないこと頼んでごめんね」

へそ曲がりの見方をすると…
「頼むつもりのなかった仕事」

「自分でも出来る仕事」

「相手は怪我をするかも…」

「自分より相手の方が不器用」

相手によっては、『心配』や『謝罪』は馬鹿にされているように受け取るかもしれません…

他人を思いやれることは素敵なことですから、『感謝』はいつも伝えられると良いですね♪

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有り難し
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GALUCHAT
曹洞宗寺院の住職です。 GALUCHAT(ガルーシャ)と読みます。 ...
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質問者からのお礼

GALUCHAT様、ご返信ありがとうございます。
神経質に考えていましたが、少し心が軽くなりました、有難うございます。
お相手には改めて感謝を伝えようと思います。

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