分かり合いながら先へ進むためには
お世話になります。
恋人と喧嘩が絶えず、どうにかしたく相談させていただきます。
相手に嫌だなと思うことがあると、「ここのこれが嫌だった、どうしてそんなことをやったのか」と問うのですが、返答が理解はできても納得できないものが多く、「では次にどうするか」にたどり着くことがなかなかできずにいます。
また、もしたどり着けたとしても、「私はこうするから、あなたはこうして」という提案をするのですが、高確率でその提案を棄却され、代替案も出されずにいる状況です。これでは先に進まず、相手の価値観を尊重しつつよりよい関係になることが難しいと感じています。
「怒るのはいつもお前からで、謝るのはいつも自分だ」と言われます。逆の立場も勿論ありますが、どうやら忘れているようです。
また、「難しいことや分からないことは嫌いだから考えたくない」と言われてしまい、価値観の共有と共存のための話し合いが進みません。
分かり合って共に生きていくためには、相手が「どう考えているか」を受け入れることが必要だと思っているのですが、その話し合いをうまく進めることができません。
私が何か根本的な考え方や行動を間違えているのでしょうか。やれることはやっているつもりなので、もうどうすればいいか分かりません。
理系会社員。研究開発職。 現在一人暮らし。 香川の実家には、要介護の祖母、仕事しか頭にない父、全てを誰かのせいにして諦めたがる母、自律できてない妹。(家系としては真宗興正派) なんでも一人で考え込むタイプで、社交性を育てていきたい。 気持ちを燃やしておもきいり絵が描ける人生を送りたいです。 [分からないもの]に対して「おもしろい、やってやる」と闘争心を燃やしがち。 最近は自分そのものに対して興味がある。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どこまで歩み寄れるのか、違いを認め合えるのかが大切。
なるほどね。
相手の気に入らない部分は、①そんなにダメ出ししなきゃならないのか、②どちらかに絶対合わせなきゃならないのか、③それぞれがやりたいようにやりゃ、まぁ〜いいかとは思えないのか、④嫌だった部分は、わかっていてもらえたらそれでいいのか、絶対に直してもらわないと困るのか、がポイントだと思います。
共有と共存でも、どこまで歩み寄れるのか、相手に合わせられるのか、違いを認め合えるのかが、付き合える基準になりますよ。
それが、許せなくて、不快ばかりになると、一緒には居れないし、憎しみまで生まれてしまう。
伝え合うことも大事だけれど、許容範囲もね。
私たち夫婦は、性格も趣味.好みも全く違います。相手のやることにイライラしちゃうこともあるけれど、別に無理やり私に合わせて!と無理強いしなくても、私は私でやらせてもらうわ〜な夫婦であり、互いに干渉もしません。
一緒に共有したいとも思わないけれど、相手のすることに関心も無いという感じかしら(笑)
それでも、大事なことや、価値観はそれほどかけ離れてもいない。なかなかのバランスです◎
まぁ、私たちは、そんな感じです。
どちらが正しい間違いでもなく、どう許し合えるのか、じゃないかしら。
質問者からのお礼
中田様
ありがとうございます。
ご指摘いただいたこと、どれもぎくりとしました。共存するのではなく、価値観をぶつけあわせてひとつの固体にしようとしていた感じがしました。
「ちゃんとこっちを見てほしい」ではなく、「いつもこっちに合わせてほしい」では、たしかに疲弊してしまいますし、それでは個を大切にはしていませんよね。
「嫌なことについて話し合いをしたい」というのも、私のわがままだったように思います。相手が嫌がることをしようとしていたのですから。
相手はひょっとすると、「私は私でやらせてもらうわ〜」という姿勢なのかもしれません。驕っていた自分を反省して、自分ともう一度向き合おうと思います。