セクハラしてきた上司
私が10代の頃、上司にえぐいセクハラをされました。その上司の男性には子供が2人、当時その奥さんのお腹には3人目がいました。
懲戒にしてしまうと家族の未来を奪いかねないので、家族関係を壊すつもりはなかったのもありその旨も含め人事にセクハラの内容を伝え、後日謝罪会みたいなのを開かれ、相手の男性は手に持っていた謝罪文書をぷるぷると手を震わせ震えた声で謝罪され、その後その人は少し遠い勤務地に左遷されました。
その後その人の名前を覚えていた私は偶然Facebookを見つけてしまい、3人の子供と円満な家庭を築いてますよみたいな写真を見てしまいました。
今では20代になり、私も結婚して幸せに暮らしています。ふともっとあいつに社会的制裁を与えれば良かったのか、金でも取ってやればよかったのかと思ってしまいます。
もう今では相手の名前を忘れてしまったので、Facebookを辿れませんが、まだ家族仲良しこよししてるアピールでもしてるのかと思うとイラついてしまいます。
こういった人にはバチはいつか当たるものなのでしょうか。一生苦しんでしまえとも思ってしまいます。
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あなたの精神衛生上、忘れた方が
とんでもないセクハラを受けてしまわれ、お辛かったでしょう。私もパワハラの方がさんざん受けてきましたので、恨みにお思いになるお気持ちは分かるところもあります。
ただ、その元上司のことは忘れた方があなたの精神衛生上はよいかと存じます。過去の解決済みのことを考えても、何にもならないですからね。それに、それなりにはせのおっさんも制裁は受けているわけですし。
舛添要一という元東京都知事を覚えていますか。とんでもないことをやって知事を辞めざるを得なくなりましたが、それ以前から悪行を重ねていました。東大の先生をやっていたときも女子学生を少なくとも二人は愛人にして、二人の人生をメチャクチャにしました。そんなことを繰り返しているのに、またぞろメディアに顔を晒しています。出す方も出す方ですけど。
舛添の場合は、大学の先生という肩書をフルに使って、若い女性を愛人にしました。指導教官のさじ加減一つで、学生の人生はどうでもなりますから、悪質です。パワハラとセクハラの両方を最も悪質なかたちで駆使し続けている大学の先生はゴマンといるようです。
そんな人間も裁かれずにのさばっているのですから、あなたを苦しめたオッサンを完全に社会的に抹殺するのは行き過ぎであるともいえます。もう反省しているかもしれないのですから、許して忘れる時期に来ているのかもしれません。
坊さんの私は、ときとして「死んだらみなホトケっておかしいと思う」と言われることがあります。たしかに一理あります。しかし、死んでしまった人をずっと怨んでいることで自分が苦しむのは止めにした方がいい、その人が死んだことを賞味期限にして不味い食べ物はゴミ箱に捨ててしまおう、ということじゃないかと思います。
オッサンの名前も忘れてしまっているということですから、されたこと自体も忘れてしまった方が、あなたが生きるうえで幸せに近づけると思うんですが如何でしょう。
それほど辛い思いをされたのですね。
元上司が左遷させられたくらいでは
まだ許せないほどの酷いセクハラだったのだと
相談文から伝わってきました。
でも彼は充分バチが当たっていますよ。
セクハラ・パワハラは
その後の出世に大きく響きますから。
「人を呪わば穴二つ」
もう許しても良いのではないですか?
そうでないと
あなた自身も
その怒りに焼き尽くされそうです。
あなたも殺した蚊に恨まれていたら?
セクハラ・パワハラも罪ですが、殺生も罪ですよね。
あなたも私も、蚊ぐらいは殺したことがあるでしょう。
殺した罪の罰を、あなたも受けるべきですよね。
すでに受けている罰も、これから受ける罰もあるかもしれません。
セクハラを受けたのは、あなた自身の前世での罪の報いかもしれません。
ということで、みんな因果応報で罰を受けると思いますが、それって自分も罰を受けるのだから、怖いことです。
他人を恨んでいる場合ではないのですよね。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
アドバイスをご回答を頂いて気づいたのですが、名前を忘れてしまっている時点でもう私の中では過去の出来事に過ぎなかったのかもしれません。ふと思い出してカッとなってあの時私はどう対処していたのが正解だったのだろう…と思ってしまったのです。
舛添要一さんという方は顔写真を見て思い出しました。確かに世の中には平気な顔して悪行働いてる方が幅凍っていますね。周りに負けない様に自分をしっかり持ってこれからの幸せの為に今自分に出来ることをしていきたいと思います。
この度は本当にありがとうございました。