両親の最後にひどいことをしてしまった
母は癌でした。付き添いについた私は、夜中に名前を呼ぶ母の声をずっと聴きたくて、応えませんでした。私が20代の時です。
父は緩和病棟に入ってから、危篤状態が10日以上続いてました。姉妹で交代に泊まり込んでいました。弟の番の時、叔父との交代に現れない為、電話がかかってきましたが、疲れてた私は、明日は私なんだからと、電話に出ませんでした。父はその晩、亡くなりました。
両親に甘えることができなかった私は、苦しんで助けを求めているのにその声を聞いておきたいという甘えた思いで母を助けませんでした。父が呼んでいるのに、横になりたいから知らんふりをしました。両親に申し訳なくて、申し訳なくてどうしようもありません。
後を継いだ弟の都合で父には供養も満足にできていない状態です。
取り返しのつかないこれらのことを抱えて、いつも後悔の念に苛まれています。
お坊さんからの回答 1件
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大切な気づきを与えて頂けませんでしたか?
初めまして、今日は。
人の命は長く、長く続いているご先祖や、父母、様々な人と繋がっていて、それらの想いや願いだけではなく証が私たちの身体に込められています。
大切な人を失ったこと、びょうきになったこと・・そこから、私たちは当たり前だという出来事はないんだ・・と、忘れてしまっている様々な出来事を再び気づきを与えられるのです。
過去や、口から解き放たれた言葉を消す事は出来ません。宿命と言って生まれた日や時間も変えられません。
変えられること、それは・・自分自身と運命や人生です。大切な気づき、そしてそれを反省され後悔をしていることで、懺悔されています。私たちは過去に生きていません。訪れていない未来を考えて不安や心配になるよりも、一度しかない人生と、二度とないこの瞬間と言う今をあなたらしく・・そして、託された未来を過ごして生きて見ませんか?
人は誰でも、大なり小なりの過ちを気づかぬ内に犯しているのです。ただ、それに気が付くか、知らんぷりをするのか・・そこが大切です。
生きる全ては、スタートラインと、たどり着く場所は一緒です。違うのは、それぞれが自分で描いたストーリーです。そして、死んだら終わりではありません。
魂は、生前に愛した人や家族の中に入ってそれぞれと、命の時間を過ごします。共に共感をするのです。想い出やお互いの想いに触れ合って、思い切り泣いて・・そしてお互いのペースでもう大丈夫、と思った時にそれぞれの新たに描いたストーリーを描き歩み出すのです。
それぞれのストーリーを歩み出しても・・純粋に祈れば、隣にスッと現れてその姿に微笑んで応えてくれるのです。
お仏壇は、此岸(この世)と彼岸(あの世)を繋ぐ電話と一緒だと思います。
此岸に旅立つ方々は、しがらみや苦しみ辛さ・・全てから解き放たれるのです。あなたの純粋な想い、必ず届いております。あなたの事も誰の事も恨んだりなんかしてはいません。お母さまに託された思いを成就していく事、笑顔で日々を過ごすこと・・それこそが、ご供養でありお母さまを愛していらっしゃるならこそ、大切な事だと思います。黙っていても時は留まらず動いています。
結果をすぐに求めず慌てずに。あなたには、あなただけにしかない良さがあります。あなたのペースで、二度とないこの瞬間をあなたらしく人生と言う長い冒険旅行を仕合せに歩めますように。合掌
質問者からのお礼
永寛さま、お言葉、ありがとうございました。
それぞれが亡くなってから、母は32年、父は3年が経ちます。前向きに生きること、そんな風に考える事はまだまだできそうにありません。
でも、私の気持ちを聞いて、応えて下さったことが、本当にとても有り難かったです。ありがとうございました。