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両親の最後にひどいことをしてしまった

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有り難し有り難し 17

母は癌でした。付き添いについた私は、夜中に名前を呼ぶ母の声をずっと聴きたくて、応えませんでした。私が20代の時です。

父は緩和病棟に入ってから、危篤状態が10日以上続いてました。姉妹で交代に泊まり込んでいました。弟の番の時、叔父との交代に現れない為、電話がかかってきましたが、疲れてた私は、明日は私なんだからと、電話に出ませんでした。父はその晩、亡くなりました。

両親に甘えることができなかった私は、苦しんで助けを求めているのにその声を聞いておきたいという甘えた思いで母を助けませんでした。父が呼んでいるのに、横になりたいから知らんふりをしました。両親に申し訳なくて、申し訳なくてどうしようもありません。

後を継いだ弟の都合で父には供養も満足にできていない状態です。

取り返しのつかないこれらのことを抱えて、いつも後悔の念に苛まれています。

2020年3月23日 20:34

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

大切な気づきを与えて頂けませんでしたか?

初めまして、今日は。

人の命は長く、長く続いているご先祖や、父母、様々な人と繋がっていて、それらの想いや願いだけではなく証が私たちの身体に込められています。

大切な人を失ったこと、びょうきになったこと・・そこから、私たちは当たり前だという出来事はないんだ・・と、忘れてしまっている様々な出来事を再び気づきを与えられるのです。

過去や、口から解き放たれた言葉を消す事は出来ません。宿命と言って生まれた日や時間も変えられません。

変えられること、それは・・自分自身と運命や人生です。大切な気づき、そしてそれを反省され後悔をしていることで、懺悔されています。私たちは過去に生きていません。訪れていない未来を考えて不安や心配になるよりも、一度しかない人生と、二度とないこの瞬間と言う今をあなたらしく・・そして、託された未来を過ごして生きて見ませんか?

人は誰でも、大なり小なりの過ちを気づかぬ内に犯しているのです。ただ、それに気が付くか、知らんぷりをするのか・・そこが大切です。

生きる全ては、スタートラインと、たどり着く場所は一緒です。違うのは、それぞれが自分で描いたストーリーです。そして、死んだら終わりではありません。

魂は、生前に愛した人や家族の中に入ってそれぞれと、命の時間を過ごします。共に共感をするのです。想い出やお互いの想いに触れ合って、思い切り泣いて・・そしてお互いのペースでもう大丈夫、と思った時にそれぞれの新たに描いたストーリーを描き歩み出すのです。

それぞれのストーリーを歩み出しても・・純粋に祈れば、隣にスッと現れてその姿に微笑んで応えてくれるのです。

お仏壇は、此岸(この世)と彼岸(あの世)を繋ぐ電話と一緒だと思います。

此岸に旅立つ方々は、しがらみや苦しみ辛さ・・全てから解き放たれるのです。あなたの純粋な想い、必ず届いております。あなたの事も誰の事も恨んだりなんかしてはいません。お母さまに託された思いを成就していく事、笑顔で日々を過ごすこと・・それこそが、ご供養でありお母さまを愛していらっしゃるならこそ、大切な事だと思います。黙っていても時は留まらず動いています。

結果をすぐに求めず慌てずに。あなたには、あなただけにしかない良さがあります。あなたのペースで、二度とないこの瞬間をあなたらしく人生と言う長い冒険旅行を仕合せに歩めますように。合掌 

2020年3月24日 8:03
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有り難し
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永寛
皆様、初めまして。ストレスの多い現代・・お寺とはご葬儀や法事のみではなく、...

質問者からのお礼

永寛さま、お言葉、ありがとうございました。

それぞれが亡くなってから、母は32年、父は3年が経ちます。前向きに生きること、そんな風に考える事はまだまだできそうにありません。

でも、私の気持ちを聞いて、応えて下さったことが、本当にとても有り難かったです。ありがとうございました。

「身近・大切な人の死・亡くした後悔」問答一覧

母の死に罪悪感と後悔で一杯です。

数日前に実家の母が亡くなりました。末期癌で、病気の発覚から僅か4ヶ月でした。 1ヶ月前に電話で話した時も体調はあまり良くなさそうな様子ながらも「死なない」とはっきり言っていました。 ところが2週間程前から体調が急激に悪化して電話もメールも出来なくなってしまいました。 母が亡くなった今、罪悪感に押し潰されそうです。というのも、喧嘩別れのような状況で死ぬまで優しい言葉をかけられませんでした。 私は幼少期から母との溝を感じて生きてきて、自分の気持ちを理解してもらえない。苦しい時に寄り添ってもらえないと感じていました。 成長するにつれて価値観や考え方すれ違いは増していき、次第に私は母に対して反抗するようになりました。 自立してからも反抗的な気持ちがおさまらず、溝がありました。 私が結婚し、孫をとても可愛がってくれましたが相変わらず溝は深いままでした。 一年程前子供を連れて実家に行った時に、自分の中でどうしても許せないことを言われ大喧嘩をして連絡を断ちました。死に目にも会わない覚悟でした。 ところがいざ母の病気が発覚した時に気持ちが揺らぎ、連絡を再開しました。 しかし、今までのことがあり母にどういう言葉をかけていいかわからずぎこちないやりとりでした。 コロナ禍で直接会うことは叶わず、病気に対して実感がわかなかったのもあります。そして、精神的に強い人なので母は死なないのではないかと根拠なく心のどこかで思っていました。自分より強い母が死ぬことを認めたくなかったのかもしれません。 喧嘩別れして以来、母に会えたのは葬儀の場でした。棺桶に横たわる母は別人のように痩せこけていました。 その時、言い様のない感情が襲ってきてその場では唖然とするばかりでしたが、自宅に帰ってから涙が止まりません。 もっとかけるべき言葉があったのではないか。優しくできたのではないか。そして、今までの人生で母にしてきた己の身勝手で酷い仕打ちを思いだし後悔しかありません。謝りたい。 闘病中に元気付けられればと子供の写真や動画を送った時の嬉しそうなお礼のメールが、辛くて読み返せません。心の中で和解しきれていないと感じていた私は、そっけない返事をしました。それが最後のやりとりでした。 子供のためにも切り替えなければならないと頭では理解しています。自分が悪いことは承知ですが、どうしたら前を向けるでしょうか?

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父はどう思っているのでしょうか?

父が亡くなる直前まで心労をかけてしまいました。 婚約後、価値観の違いから衝突して、入籍の無期限延期を言われたのですが、 話合いをしても平行線で、自らピリオドを打ちました。 当時入院中だった父は病室から何度か電話をくれて 「心配しているけど、自分の将来なんだからおまえに任せる」と言ってくれていました。 遠距離恋愛の為、名古屋まで話合いに向かいました。 彼の要望を聞いていると、私が望むごく一般的なつつましい結婚生活は期待できそうもなく、好きな気持ちはあるけど、先々の事を考えて交際自体も終わらせる事を選んで自分の住む町へ戻りました。 翌朝、父の容体が急変し、16日間の危篤状態を経て他界しました。 この期間私の為に頑張ってくれたような気がしてなりません。 父も理解してくれていたこととはいえ、死の直前まで心労かけました。 その所為で死期が早まったのではないか? 糠喜びさせて、悲しい気持ちのまま旅立ったのではないか? 悔やんでも悔やみきれません… 父の訃報はSNSなどで知ることが可能ですが、彼からは音沙汰なしでした。 最後はお互い納得して別れたのに、別れてしまったとはいえ、ひと月まえに家族になっていたはずの人なのに…。 親族への挨拶まで済んで入籍直前なのに自分の都合で延期を言い出したのに、両親への説明や謝罪もしてくれませんでした。 別れることまでは考えていなかった彼ですが、その言い分が自分にだけ都合の良すぎるものだったので、私から去ることを決断しました。 それでもお互い人としての義理人情はあると信じていました。 私は愛されていなかったんだ… 今は内省していないと気持ちの置き場所が見つかりません。 職場の人もみんな知っていて、誰に対しても申し訳ない気持ちです。 私の状況を知る親族も二重の悲しみを抱いています。 葬儀の間、隣に座る姉の横には姉の旦那さんが居て、 本当だったらあの人がここに座っていてそれだけで救われたはずなのに… 父の死をこんな絶望感で受入なければいけないのは何でなのだろう? 私は何をそんなに間違えたのだろう? 彼氏に自分の気持ちを言ってはいけなかったのだろうか? たまに彼に対して恨みのような感情が沸き上がるのが辛いです。 父の死、ただそれだけを悲しむことができればどんなにいいか…。 「お父さん、ごめんね。」 父に会いたいです。

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最愛の妹を死なせてしまいました。

僕は先日4月26日未明に最愛の妹を亡くしてしまいました。妹は障がい者てんかんてんかんの病気を持ってました。家には認知症でほぼ何も出来ない母との3人暮しでした。仕事は2交代制でパチンコ屋デ勤めてました。昼間はデイサービスやヘルパーさんやらに見てもらってましたが、夜は基本2人にして妹が比較的しっかりしてたので長年任せてました。薬が最近なかなか全部飲めてなくて発作も増えて最後の日も前日夜ご飯食べてなくて調子悪そうでしたが、少し回復してる感じもあったのでそのまま夜勤務に行ってしまいました。夜中に帰って来たら妹は倒れていて、側にいた母親は何も出来ずてんかん発作が起こり嘔吐物で窒息で既に心停止で脈もなく救急車呼んで病院でも蘇生してもらいましたが無理でした。前日までは普通に生きてたのに未だに信じられません。僕が仕事休んで家にいたら。薬がなかなか飲めなくなってたので入院なり施設に入所なり今考えればいくらでも助かる命だったのに、全て僕のせいで一番大切な妹を亡くしてしまいました。本当にバカです。僕が死ぬべきでした。お通夜、お葬式はまだただ泣いてばかりいれば良かったし人も沢山来てくれて、今まで良く頑張ったとか言われましたが、妹もこれが寿命だとか運命なのかとも言われたり聞いたりしましたが、あの日の行動で妹の未来を変えてしまいました。1週間で仕事もう復帰はしましたが、全然やる気に慣れません?やる気ないなら休めとか言われたり前を向けとかプライベート持ち込むなとか言われましたがしんどいです。母はさすがに1人では家では無理なのでケアマネの計らいで今は夜勤務の時は短期入所で昼勤務の時はデイサービス日帰りで見てもらい、とりあえず生活はしてます。妹は本当に病気で重心で知的、足もたたない身体身体でしたが前向きで明るくいつも笑ってました。夜中でも家に帰ったらお帰りなさいと言ってくれて家族の太陽、天使のようでした。子供の頃から入退院繰り返しながら最近は在宅介護で上手くいってたはずなのち最後の1日2日の僕の判断力ミスで取り返しのつかないことになってしまいました。今は妹への罪悪感、夜誰も居ない喪失感、そして楽しかった日々をありがとう兄妹で家族で居てくれてありがとうと思いながら供養しか出来ません。そしてまた仕事です。色々手続きもあります。本当に辛いです。母もいますし妹の為にも頑張って生きて行くしかないですが辛いです

有り難し有り難し 27
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父親を亡くした。

一週間ほど前に父が亡くなりました。 父は約10年前に病気で車イスが必要な身体になりました。その後も数々の病気をし、何回も命の危機になりつつも快復してきました。 私はその間、実家で一緒に暮らしていましたが、やはり。障がい者である父のことを邪険に思ってしまい、助けてあげないといけないのに、父の世話を母に押し付け、父から逃げていました。 子どもの頃から父のことは大好きで、年頃になっても2人で旅行に行くくらい仲良しでした。 はじめて父が倒れてからの約10年。入退院を繰り返していたこともあり、慣れてしまっていたと思います。 入院をすること自体、本来なら心配なことなのに、『父から少し離れて生活できるな~』なんて呑気に考えるようになっていました。 最後の入院時も、コロナ禍で面会すらできませんでしたが、『すぐに良くなって帰ってくる』とあまり心配することも不安になることもありませんでした。 それが、今回は帰ってきませんでした。 面会はできなくても電話することはできました。メールもできました。でも、私はしなかった。治療さえ終えれば帰ってくると思っていたからです。 父が亡くなり、後悔しかありません。私は本当に酷い娘です。 一人になってしまった母のことを支えなくてはいけないと思いつつ、自分がなかなか父の死を受け入れられません。 父への後悔が無くなるときは来るのでしょうか?

有り難し有り難し 8
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育てて貰った兄の死を受け入れられません。

私は親が小さい頃他界し歳の離れた兄姉に何不自由なく育ててもらいました。20歳の頃、遊びすぎで言うことを聞かない私と厳しい姉から猛烈な叱りを受け怖くて帰れないまま20年もの時間が過ぎてしまいました。怖くて連絡が取れなかっただけで、仲の良かった兄弟から冷たくされるのも怖くて謝りにいけませんでした。ただそれでも母のお墓参りには行っていたのですが、先日恐れていた事が起きました。 母の日のお墓参り行った際、新しいお塔婆で兄の死を知りました。 家出した身分ですが、私は小さい頃から兄姉が大好きで5歳くらいから末っ子なので自分がみんなを看取るかもしれないと未来を恐れていました。本当は心の底から許してほしくて仕方がありませんでした。でも怖くて会いに行けなかった。謝ることもできずに私は私の暮らしをして勝手に生きていたのです。  でも20年の日々の中どうしたら謝りに行けるかをずっと考えていました。それでも行動に移せず、こんな現実を迎えさせてしまった自分は生きる資格なんてない、なぜ生きているのかと毎日苦しくて仕方がありません。兄は私達を育てるのに10代から昼夜働き苦労ばかりさせてしまいました。私は何一つ孝行できずに私は幸せに生きています。そんな自分が許せません。こんな未来は本望ではなかった、謝りたかったし身代わりになれるならなってあげたかったです。こんなふざけた自分をこの先どう生きていけばいいかわかりません。大切な人を傷つけた最低な自分です。死ぬ事もいけないこと精神を病む事もいけない事とわかっていますが毎日毎日苦しいです。最後まで逃げていた自分を許す事ができません。厳しいお言葉をお願いします。

有り難し有り難し 12
回答数回答 1

祖母に続き祖父を亡くしました

祖母を亡くしてから半年で祖父を亡くしました。その気持ちに整理がつきません。 祖父は最愛の祖母を亡くした後、体が弱り入院しましたが、コロナ禍で見舞いもできず、危篤の際に短い時間に1人ずつ面会できただけでした。 病院近くにホテルも取って駆けつけられるようにしていたのに、情けない事に亡くなる瞬間には間に合いませんでした。 初孫で本当に可愛がってくれたのに、こんなに突然二人とも亡くしてしまうなんて。特に祖父は、こんなに寂しい最期になってしまったのが悲しくて、申し訳なくて仕方ありません。 ただ、祖父母共にコロナなどの病死ではなく老衰だったので、天寿をまっとうしたのは幸いだったと自分を慰めていました。 そんな中「マスクを外そう」「コロナはデマ」と駅前演説をしている人達を目の当たりにしてしまいました。 それを引き金に、 「コロナ禍さえなければ、もっと祖父母に会いに行けたのに」 「入院した祖父をお見舞いに行けたのに」 「危篤になった祖父の手をずっと握っていれたのに」 「今際の際に独りにせずにいられたのに」 という気持ちがずっと頭で渦巻いています。 コロナはしかたない。感染対策の面会制限はしかたない。寿命はしかたない。 それで抑えていた後悔ややるせなさが、先述した活動・主張をする人達への怒り、腹立たしさとなって噴出してきます。 陰謀論やら何やら面白おかしく騒ぐ人達に向かって「じゃあ何ですか、私が祖父とこんな別れ方をしなきゃいけなかったのは、あなた方が面白おかしく言ってるデマや陰謀論やらのせいですか、こんな思いをしてる人も居るのに騒いで楽しいですか」と喚きたくなります。 そんな事あるわけないのに「こんな考えの人がいなければコロナはもっと早く終息していたかもしれないのに」と考えてしまいます。 いやそもそも、コロナなんて関係なく、もっと私が孝行していれば良かった。そうすれば幾分か気持ちもマシだったかもしれません。 これは八つ当たり過ぎないのだと思います。 ただ、 祖父の四十九日を心穏やかに迎えるために、 祖父母を偲ぶ際にこんな恨みのような気持ちを持ち出さないように、 この怒りを落ち着ける方法など、何かご教授いただけたら幸いです。 ここまでご覧いただきありがとうございました。

有り難し有り難し 23
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