とても酷い罪悪感に苛まれています。
沢山の人を傷つけてしまいました。
直接的でないにしろ、とても申し訳なく思い深く反省して謝罪文を書きました。
しかし謝罪はしましたが、酷い罪悪感と人から悪意を向けられてるという恐怖から、食事を取るなどの日常生活が送れなくなってしまいました。
このまま怯え続けなければならないのでしょうか?
少しでも心が軽くなる方法をお教え頂ければと思います。
した事は消えません。それだけは分かっています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大切な気づきを与えられた事をプラスに変えて見て欲しいです
初めまして、今日は。
誰でも、大なり小なりの過ちを必ず犯しているのです。それに気づくか、気づいていても知らぬ顔をすのか・・それが大切だと思います。
あなたはとても大切な気づきを与えて頂け、その出来事に知らない顔をせずに謝罪をされましたね。懺悔された事と同じです。失敗をして、それらを決して無駄にせずに心を尖らせずに・・穏やかに、人生という冒険旅行をリスタートさせて見ませんか?
私は、朝晩のお経をお唱えさせて頂く際に”密厳院発露懺悔”という教文をお唱えさせて頂いております。それは、自分自身や生きる全ての皆様の懺悔を変わりに懺悔させて頂いております。生まれた日と時間いう宿命は変えられません。変えられるのは・・人生や運命、自分自身です。私たちはとても多くの命と繋がり、その方々の願いや想い、証を込めらているのです。それぞれに生きる意味と託された事がありこの瞬間を生きているのです。
無駄な事、無駄な命は一切ありません。過去でもない、訪れていない出来事を思うから心配や不安になるのです。その未来でもない、一度しかないこの瞬間を生きているのです。
失敗などを恥じずに、失敗は多い方が良いのです。挑んで失敗をするよりも、挑まないで失敗することが、失敗なのです。私たちは何歳になっても成長が出来るのです。
心を捕らわれず、惑わされず、奪われずに。周りに無理に合わせて顔を作るよりも、無理に枠にはまろうとせずに、結果をすぐに出そうとせずに・・あなたには、あなたにしかない”良さ”があります。あなたらしくこの瞬間を過ごして欲しいです。
人生にも困難の嵐が訪れます。その時は立ち止まって心の充電やメンテナンスをして上げて、もう一人の主人公の自分と向き合って問い掛けて見てください。求めている答えが自ずと現れてくれます。過去や口から解き放たれた言葉は消せません。過去にこだわるよりも、新たなリスタートを描いて、辛い時だからこそ”笑顔”を忘れずにあなたらしく人生という冒険旅行を仕合せに歩めますように、お祈り致しております。
いつでも苦しい時はここに来てください。
合掌
質問者からのお礼
お坊様、ありがとうございました。そう言っていただけて涙が出ました。己の過ちは決して忘れず、しかし生まれ変わろうと思いました。我が家にも御仏壇がありますし、お寺へも行ってみたいと思います。気付きを与えてくださりとても感謝しております。