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小学5年の頃、掃除中にクラスの子がほうきの両端を踏んで跳ねていた時、私は雑巾掛けをしており、そのほうきで指を踏まれました。痛いと言っても謝ってもらえず、その子を嫌いになりました。

その後、組体操で誰が一番上に乗るかを決める際、その中で1番背の低かった私ではなくその子になり、私は「また邪魔された」と感じて強く当たってしまいました。結果的に、その子は不登校になり、お母様から直接「娘があなたのせいで不登校になった」と言われ、初めて事の重大さに気づきました。その後、先生を通して謝罪しました。

組体操の件は私が理不尽でした。ただ、自分が100%悪かったのかずっと悩んでいます。クラスメイトを不登校にさせてしまったこと、何度も友達やクラスメイトに感情的に怒って傷つけてしまったことは、今でも大きなコンプレックスです。

一方で、小学生の頃の私は家庭できつく当たられていました。母から否定的な言葉を受けることが多かったです。
母は実家ではおばあちゃんにキツくあたられていたらしく、聞きたくもないのにその話をされたり、「自分の嫌いだった上司の喋り方に似ている」と貶されたりしていました。
父は母の肩を持っていました。
たまにその頃のことを思い出して、しんどくなった時、父に、「なんでも私のせいにされた」と訴えると、「私より母の方が厄介だったから私のせいということにしていた」と言われました。家庭内のバランスを保つために私を受け皿にしていたということです。
その影響で、当時の私は精神的に不安定だったのではないかと思っています。小学校時代の私は、母の鏡だったように思います。これは自分のせいだと考えないための甘えでしょうか。

ですが、小学6年の時、精神科に行った際、自閉症スペクトラムの傾向があると診断され、その影響で、こだわりが強く学校の子とトラブルになってしまうと病院で言われたことを後に親に聞かされました。

今は社会人として働いており、周囲からは「不思議な人」としていじられながらも穏やかに過ごしています。ただ、昔との違いに職場の方を騙しているように感じ、しんどくなることがあります。

支離滅裂で申し訳ございません。
お言葉をいただけますと幸いです。

2026年5月11日 23:57
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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

責任と解放

ご相談拝読しました。

昔の出来事が今もあなたの中に深く突き刺さって離れないのですね。お気持ちをお察し致します。

お話をお聞きしますと、小学生時代のあなたの家庭内の環境はあなたにとって大きく影響するものであったことは間違いないのだと思います。人は環境に依存しますからそういう意味では確かにあなただけが悪いというものではないのでしょう。

お母様があなたに取る態度があなたから他者にむけられる。そういう言わば好ましくない連鎖も否定できません。

でも大事なことは、あなただけのせいじゃないのならあなたは悪くないのか?ということだと思います。

生まれた時は皆赤ん坊です。それが有名な野球選手だったり、凄腕のお医者様だったり、はたまた犯罪者にだってなってしまう。それはやはり出会う縁(えん)-条件や環境-によってそうなっていくのでしょう。でも縁だけで全て決まるならば運命論になってしまいます。そこに自由意志が認められないならば。

数限りない縁が降り注がれる中という条件や制約の中でも、「私がそうする(した)」という意思決定の責任をいくらかでも自分に見出す。それが大事なのでしょう。

あなただけのせいじゃない。でもあなたにも確かに責任はある。

その態度こそがあなたがあなたの人生を生きる上での主体性になります。全て縁で決まっているのならあなたがあなたを生きる意味がなくなってしまいます。どうすることも決まってしまっているのですから。

そうじゃない。私こそがこの私を生きるのだという主体性と、それでもその私は縁に大きく影響されているのだという俯瞰。あるいは個の責任からの解放。

このバランスを取りつつ、今はどこに視点を持つべきかを考える。その中であなたがあなたの過去の出来事を受け止められますようにと念じます。

2026年5月12日 5:36
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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
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