もう、出会えないのではないか。
以前、こちらで相談させて頂いたものです。
彼女が浮気をしており、同棲してすぐに解消してしまったことを後悔している、という旨の相談させて頂きました。
その際に頂いた回答のお陰で、少しづつ自分を許せるようになってきました。
今はあの時取った自分の行動は正しいと思えてますが、
今でも心の中で「逃した魚は大きかった」のではないかと考えてしまいます。
もうこれから先、元カノ以上に趣味も思考も合っている人間とは出会えないのではないかと考えると不安でたまらなくなります。
この不安を無くすためにはどうすれば良いでしょうか。
過去への執着あります。 あの時、こうすれば良かったああすれば良かったという気持ちになるのが怖いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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愛情という根幹
こんにちは、初めまして。
大切な方とお別れしてお悲しみでしょう。
前回の質問も拝見しました。
彼女さんの浮気から紆余曲折を経て現在に至るのですね。
時がたてば、良い思い出だけが残るということが人間にはあります。
苦い、悲しい思い出はいつの間にかおぼろげになり、むしろそうでなければ人は生きていけない弱い生き物なのだと思います。
「趣味も思考も合っている」お人だったのですね。前回のご質問とあわせて読んでみても、とても呼吸の合う方だったのでしょう。
しかし、男女が将来を考えるとき、一番の根幹にあるのは愛情(に伴う誠実さも)の礎ではないでしょうか。趣味、思考も合ってたかもしれませんが、根幹が揺るいでしまっては、砂上の楼閣です。あなたは、その根幹のところで違和感を感じたからお別れになったのでしょう
また、愛情という肝心な点が抜けているという見方で言えば、画竜点睛を欠くともいえましょう。どんな立派な絵も、肝心な点、一つ抜けるだけで絵と言えなくなります。
今後、趣味、思考が合わないところがあっても、愛情という磐石な地盤があれば、今までとは違った、自分のイメージの枠を超えた素敵な楼閣が建つ可能性は十分にあると思います。
ご参考になれば
質問者からのお礼
回答頂いてありがとうございます。
そうですよね。
「時間が解決してくれるよ」と言ってくれる友人たちの言葉とは裏腹に
日に日に元カノの良い部分だけが頭に浮かび、もし彼女とまだ付き合ってたら出来たかもしれない幸せな生活を妄想してしまう自分に自責や、後悔の念にかられていました。
ただ、仰る通りそれは砂上の楼閣なのかもしれませんね。
確かに、彼女は僕のことを「好き」でいてくれたのかもしれませんが、
それは「愛」では無かったのだろうと今では思えます。
実は今日も、元カノが夢に出てきました。
あの頃のまま、あの頃の笑顔で。
そこで僕は彼女を許していました。
「僕も悪かった」と言っていました。
でも、起きて、もうそれは叶わないんだと思うと悲しくなりました。
それでも、前に向いて生きていかなければならないんですよね。
もっと良い人、つまり愛情が礎になって、仮に趣味・思考・容姿が合わなくても、一緒に居たいと思う人と出会うのを信じて。
先の見えないトンネルのように感じますが、
進んだ先に今までとは違う世界があると信じて。
自分を信じて進んでいきます。
お忙しい中、本当に回答ありがとうござました。