思うだけで動けない
やりたいことはたくさんあったけど、ずっと痛みや恐怖から逃げてきたから何ひとつ挑戦できずに大人になろうとしています。
夢はいつからでも遅くないと言いますが、確実にタイムリミットは存在するし、若いときしか出来ないことがあります。
でも今さら夢を追いかけ始めたとして、何を手に入れたいのかわかりません。富や名声が欲しいのか、安定なのか非日常なのか、特別な何かになりたいのかなど、自分の幸せが何なのかわからないため動き出せません。
リスクばかり考えて、傷つかないように避けて避けて生きてきました。そのせいか、周りが羨ましくてしょうがありません。
ひとりでもちゃんと生きていけるようになりたい、人には人の地獄があるってわかってるけどみんなが羨ましくて毎日泣いてる。
目に映る全ての人に嫉妬する勢いです。
考えすぎなのに自分のことがひとつもわからなくて、好きなものも浮かびません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
失敗はいい、後悔はだめであるのです。
拝読させていただきました。
たくさんのやりたいことがあるのはとても素敵なことです。
人は煩悩を持ち、欲があ〜したいこうしたいと心を踊らせてくれます。
夢は小さくても大きくても、その人にとってやりたいことが見つかることはとても素晴らしいことです。
夢をもちたくても環境や年齢によって叶えれない夢もあるものです。
また、現実では夢をもったことのない人々が大半でもあります。
中々行動に伴わないのは、やりたいことが多すぎるからでしょうか?
その時は何が一番したいかをしっかりと自身と見つめ合う時間を一度もつことが大切ですね。
不安などで行動に移せないときは、飛び込むことです。攻撃は最大の防御なりと、不安を打破してくれることが多いものです。
二頭追うものは、一兎も追えず
と、ことわざでありますように「迷い」が心にあるときは簡単なことでも失敗することが大半です。
仏教では「迷い」から苦しみというものが芽生える根本でもあると説きます。迷いや希望がないことを無明(むみょう)ともいいます。
やりたいことが多過ぎて、時間を考えれば焦りが生じ、夢が儚くなっていくばかりの状態になるかも知れません。
一つずつ、焦らず、迷わずに
夢は逃げません。追いかけてもくれません。
思っているだけでは、その思いはそのままです。
何事も新しい夢に踏み出すことは怖さもあるものです。
行動を起こし、失敗すれば、それは人生に大きな経験と体験から得る、力のアイテムを取得できます。
行動を起こさなかった場合は、後悔となります。人間後ろ向きでは歩きにくいものです。歩きやすい人生にするためにも、目的・夢・目標がある今、邁進あるのみです。
心より応援してます。
合掌