もう二度となれない夢
私は今大学生をしているのですが、宝塚になりたかったという夢が捨てられません。
宝塚を好きになったのが高校生になってからだったので、今からではレッスンを受けても遅すぎると考え、音楽学校は一度も受験しませんでした。
高校三年になってからは受験勉強に集中し、宝塚のことも忘れ勉強に打ち込んだものの第一志望に落ちてしまったので、一応受かった私大に通うことにしたのですが、宝塚の受験資格さえない年齢に達した今になって、宝塚のことばかり思い出し悔しい思いを強く感じています。
なまじ身長などに恵まれた体躯をしているからか、もっと早くに宝ジェンヌを目指していれば、などと後悔しても意味のないことばから考えてしまいます。
いくら悩んでも宝ジェンヌになるのは不可能だということも、おそらくその気持ちは慣れない大学生活の疲れなどから逃げたいという無意識の考えから再熱した気持ちであるということも分かっていますが、どうしても悔しい気持ちばかりが頭を占領してしまい、勉強に身が入りません。
どうか、こんな馬鹿なことばかり考えている私に意見を頂けたらと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私だったら、
宝塚への就職を目指し
裏方になろうと思います。
表舞台にはもう立てなくても
宝塚に関わることはまだ出来ます。
タカラジェンヌという夢を
別な形に変換してみませんか?
ちなみに私は
野球の広島カープの大ファンで
プロ野球選手にはなれませんでしたが
「広島カープ球団に勤めてみたい」という
次なる野望が消えません…
手に入らないものもあるのです。
求不得苦(ぐふとっく)という四苦八苦(しくはっく)の中の一つの苦しみを説いたものがあります。これはどんな方法を用いても、どんなに金品を積んでも手に入れることができないという現実の苦しみです。もちろん、地位、名誉、又、望んだとしても他人の彼を手に入れることも無理です。
今回、宝ジェンヌにあこがれたとありますが、現実には、もう手に入れる(なれない)ことはできません。
手にすることができないことを悩み続けるのは、永遠に解決できない苦しみです。
四苦八苦はお釈迦様でも解決できないものだと悟られたことです。唯一解決(苦しみからの解放)できるのは、悩んでも解決できないと知ることです。
今は、特に、こんな時世ですから、慣れない大学生活も余計に苦しさを増すのかもしれませんが、ここは一歩踏み出すことで諦めることで解放されます。
これからの人生には、さらに多くの難問が待ち受けています。様々な苦しみをどのように乗り越えるかが、人生を生きることかもしれません。しかし、どうして悩んでいるのかを、早く分かれば(理解)できれば、物事は解決へと進みます。
今回のことも同じで、まずは、乗り越えて、そしてこれからの大学生活を楽しんでください。楽しむことは誰かが与えてくれるもでもありません。自ら楽しもうと思わなければ楽しくありません。
青春を楽しく頑張ってください。
大切にして下さいね
拝読させて頂きました。
和田 師と同じような意見ではありますが、あなたが宝塚歌劇団を大好きで様々に応援していくことは永遠にできますよね。
宝ジェンヌ達も永遠に宝ジェンヌでいることはできません、いずれバトンタッチしていきます。
あなたがこれからもずっと自分の大好きなことを大切になさっていかれて、どこに行っても何になってもあなたが好きなこと大切にし続けることはできます。
人生は様々な巡り合わせやご縁があります。あなたが宝塚歌劇団に出会うことができたことも本当に素晴らしいことだと思いますし、様々な感動や感謝の気持ちを持つこともできたでしょうからね。
あなたがこれからもずっと自分の大好きなことをいつも大切にしながら心豊かに充実した日々を歩んでいきますようにと心より祈っています。そしてあなたを心より応援してますね。