死にたいと生きる喜びが欲しいの葛藤
生きる喜びが欲しいです。四十歳手前になり仕事も無くし、転職活動においても自分の価値がなく生きる喜びがありません。
やりたい仕事もなく、需要がなく、今後わずかな生産性の為に生きるなら死にたいと考えてます。
家族に迷惑がかかる為に踏みとどまっていますが、独身であるため守るものもなく生きることが恥ずかしくこれまで頑張ってたものも報われずもう限界です。
わずかな期待として生きていれば良いことがあると信じたいです。
生き方をご教示下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
護るものが心の中に溢れているでしょう
ユードー 様 相談ありがとうございます。
生きる喜びをどこに見出すか、考えてもいいかもしれません。
自分の価値をどこに見出すか、考え直してもいいかもしれません。
やりたくなくてもやれる仕事が見つかり、それがやりたいことに代わるかもしれません。
僅かな生産性が大きな生産性に代わることがあることをあなたは知る必要があるかもしれません。
独身であろうとなかろうと、あなたには護るものが心の中に溢れているでしょう。
恥ずかしいと思っているのはあなただけで、あなたの命は輝いて価値があると私は思います。それに気がつかないだけです。
輝く命があると思ってみてください。神仏に祈って、神仏に手を合わせて、輝く命があると思ってください。小さな期待と思っていることが大きくなるでしょう。
そのことに生きていくことで気づいていくでしょう。
あなたは、今、何をするのでしょうか?その為に。
日々の小さなことの中に、何でそれを見つけていくのでしょうか。
辛い日々が、小さな喜びに、小さな喜びが、大きな喜びに。
変化をもとめて探してみてください。きっと見つかるでしょう。
一礼