私欲を消し、利他の道を歩むには。
仏門で日々、心身を鍛錬なさっておられる皆様へぜひお力添え頂きたくご質問致します。
私は20代前半男性の勤め人です。
父母が入信していた神道系新興宗派へ物心つく前から入り、12歳まで信徒をしておりました。
その間、私が10歳の時に父は病で鬼籍に入りました。
それから母と暮らしていましたが、専業主婦をしていた母に子を養う事は難しく、段々困窮していく中で余裕が消え、それまで信仰していた宗教とは全く異なる神道系新興宗教へ母子共に改宗しました。
しかしそんな生活が続くはずもなく、私が14歳の時に家賃滞納を苦に母は蒸発してしまい、その後数年間行方は分からずじまいでした。
そして私は児童相談所を介して、これまた上記2つとは全く異なる神道系宗教が運営している中学校へ単身転校し教理の専門教育を受けました。
卒業後は環境の変化を重ねがらも細々と暮らしています。
これまでの人生で失ったもの、得たものへの無念、執着はありません。
難しい環境の中で悩む友人に寄り添い、共に支え合える関係を築けるようになりましたし、母と改めて対面した際には申し開きを冷静に聴き、母なりの苦しみを受け入れ許す事が出来ました。
これらは今までの積み重ね無くしてできない事だと思っており、成長として実感しています。
しかし根底にはやはり私欲の幸せを求める心があり、長く寄り添い互いに与え合える関係のパートナーを探すべく、6年ほど励んで参りましたが一度も叶う事はありませんでした。
悩む中で、私の今世は失いながらも人へ与え続ける事が使命なのだと結論付け、現在は良縁を求める友人達の仲人役が生きがいになっています。
長い時間の中で今世の使命をやっと理解できたというのに、俗気を消しきれず時たま空虚な気分になります。
私心を完全に消し、利他の精神を貫徹するにはどうすれば良いでしょうか?
宗派が違う3つの神道を経て尚も利他へ徹しきれない私に、仏教の観点からご教授をお願い申し上げます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
【自利利他円満】
自分を捨てては成立しません。
自分自身を愛せなくて、人を愛することはできません。
菩薩とは、菩薩行とは、自らも楽しみ他をも楽しませることです。
神仏は、手の届かないところから見守る存在ではなく、あなたが神仏となって振る舞うことで、そこに神仏は存在します。
私心を完全に消せないのが人間。
俗気を消しきれるんだと思うから
そうでない自分が嫌になり
空虚な気分になるんだろうと思います。
そうではなく
私欲を消せないままでも
利他行は出来るのではありませんか。
あなたの今世の使命は
清廉潔白でないと成し遂げられないのでしょうか。