孤独死を避けたい
こんばんは。
もともと仏教に興味があることもあって、死期を悟った時は安らかに終末を迎えたいと思っています。
病気、貧困、痴呆などで孤独死することもあると思いますが、それも受け入れたいと思います。
ですが、その後、腐敗したまま発見されないのではないか?と想像すると怖くてなりません。孤独死した身内を発見して、凄惨な現場を見たトラウマがあります。自分が、夫が、親が、またあの状態になるのではないかと、毎日考えてしまいます。不安がわいたきっかけはコロナウィルスです。高齢の親が遠方にいて、夫とは仕事の関係で離れることがあります。安否確認はとっていますが、間に合わないこともあると思います。また、夫婦もどちらか先に逝くので、遺された方は一人暮らしになります。子供はいません。家庭の事情と仕事の関係で地域との繋がりも薄いです。
例えば、終末期の老人であれば、看取り介護や見守りサービスが受けられます。でも、元気な高齢者や若者の方は一人暮らしが続くため、孤独死の可能性が高いのではないでしょうか。
そこで、ご質問させてください。病気、貧困、痴呆などやむにやまれない事情で、死期を悟り、静かに死にたい人達の看取りホームのようなもがあれば気が楽になると思ったのです。本人が納得したら医療を受けず、最低限の水と塩だけ与えて貰い、誰かに背中をさすって貰い静かに死ぬ施設で生き絶えれば、すぐ火葬もしてもらえると思います。ぎりぎりまで頑張って自殺しようとされる方がそうした施設で最期を迎えるという選択肢もあるのではないでしょうか。イメージしたのはインドの死を待つ家ですが。私も介護年齢になる前に、コロナの治療が受けられないとか、病気で働けない、介護や生活保護は受けられない、でも一人暮らしが難しいとなった時、そうした最後の瞬間には、看取りの施設に入りたいと思いました。
私は人に迷惑をかけたくないという考えが強く、孤独死から近隣に影響を与えることに抵抗を覚えます。孤独死した身内も決して幸せだったと思えませんし。
ですが、私が考えるような終末期の家は、日本では法に触れたり、犯罪の恐れを呼んだりするのでしょうか?
もしも許されるなら元気なうちにそこでボランティアしたいとさえ思うのですが。
終末期の家の考えはおかしいでしょうか?
だとすれば、地域とつながりのない一人暮らしの人が孤独死を避けるにはどうすれば良いのでしょうか?
一番怖いものは孤独です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
おかしくないですよ。
おはようございます。
ねここ様のご指摘は的を得てると思います。
孤独は福祉の分野でも世界的な問題になっています。
イギリスでは孤独担当の大臣が2018年秋に誕生してます。
日本の法律や制度が整うには時間がかかると思いますが、ねここ様の考える方向性に世は進んでいくと思っています。
在宅単身者にも民生委員や地域や親族の良心だけに頼らず、訪問医療や訪問看護等が入り、定期的な安否確認を含めた見守り体制は少しづつ整ってきてます。
私も高齢単身の壇家さんには接点をもつよう心がけています。
ですから、安心してください。
そして制度がねここ様のお考えに追いつくまではちゃんと生きていてください。
人は生まれる時となくなる時は人の手を借りなければなりません。
初めまして、お早う御座います。
私たちの身体には、何前年と困難を幾度となく乗り越えて生きた先人達、父母の願いや想い、生き抜いた証が込められています。亡き彼女が残した言葉があります。
過去でもない、訪れていない未来をふと考えてしまうと・・それらが不安とない心配となってしまう。その未来でもない、二度とないこの瞬間を自分らしく生きる事を良く過去に生きていた私に問い掛けて、私を絶望から救い出してくれました。
家族が居ても・・わだかまりがあり、親が命の灯が消えるその瞬間を、関係ないと断ち切ってしまう方もいらっしゃいます。家族が居ても孤独死に近い出来事があるのです。憎み恨むこともあるでしょう・・時には許す勇気と努力も必要です。この世に産まれ育ててくれて、この瞬間を生きれるのは、ご両親が居てくれたから今を生きているのです。産んでくれなくてよかった・・ではなく、一人ひとりが生きる事の意味があり、課題を与えられているのです。
産まれる時と、亡くなる時。その時は誰かの手を借りなければなりません。だからこそ、人の手を借りずにすむ今、見返り無くご恩返しを出来る事を無理なく継続していく事が大切だと思って、出来る事をさせて頂いております。
尊厳・・それは大切だと思います。亡き父のように、オムツをして家族に世話をしてまでは生きたくないし、機械に繋がれてまで蘇生をされて生きたくない・・と言うように、自宅で亡くなりたい・・延命せずに痛みなく亡くなりたい・・と言う尊厳は大切だと思います。そう言った活動をされている在宅クリニックの医師もいらっしゃいます。それぞれが生きたストーリーを尊重して、例え血がつながっていなくても温かく新たなストーリーを歩まれるようにお見送りさせて頂く方が居て欲しいと願い、私もその一人となれるように活動をさせて頂いております。エンディングノートを作り、そのような活動をされているNPO団体や地区の民生委員さんと繋がりいつ、その時が訪れても混乱しない様な体制がこれからその基盤をしっかりと作らなければいけない課題を私たちには与えられていると思っております。
この世には無駄な出来事も、無駄な命も一切ないのですから・・・
合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。同じ考えの方々や活動グループのあることを知り、安心致しました。世の中が落ち着いたら、そうしたグループを探して何かお手伝いできたらと思いました。
私も親も孤独死した身内もそうですが、真面目に必死に生きてきても、何かの不運をきっかけに絶望して孤独死するのは悲しいことだと思います。誰しも自殺はしたくないので、ぎりぎりまで頑張ります。その後に人間らしい尊厳死があるとわかれば心が安らかになります。いつか同じ考えの方々とご縁がありますように。それまで生きて誰かの支えになれるように。
この思いを心の支えにしていきます。