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中絶の過去

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十数年前の中絶の過去に対しての後悔を今さらながらしています。

相手がいたとは言え、自分の知識のなさ、それが原因です。

そして、1番反省しなければならないのは、その後、ただただ済んだことと安心してしまった事です。

何も学ばず、お腹にいたその命の事を想うこともほとんどせず、結婚、出産をしました。最近になり家族の体の心配をし不安になっているところに、ふと、その時の記憶がよみがえりました。

どうしてその命の事を思えなかったのだろう、どうして今まで振り返らず結婚してしまったのだろう。私が決めた、大切な命を絶ってしまったこと、どうして考えてこなかったのだろう。

私が母親になるべきではなかった、これからも家族から幸せや期待を与えられるべきではない。以前から、輪廻転生や魂のような存在を少し意識していたので、その存在を信じる事も私にはする資格がないと思います。

過去に戻る事はもう出来ないので、その時の過ちは、今の行動で反省していくしかない、子供達の成長を見ていくことが今のわたしに出来ることだと思いますが、家族と笑いあうことも、家族に励まされる事も、私にはその資格がないのです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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亡き子をどう想うか

こんにちは、初めまして。

過去の行いでお悩みですね。
その辛さが伝わってきます。

中絶した命を「どうして今まで振り返ら」なかったのか、と来し方を振り返っておられます。「どうして」という理由ついて、あなたは何か思い当たりますか。意識的に忘れようとした結果かもしれないし、十数年の歳月で自然と抜け落ちていたのかもしれません。ただ、いずれにせよその理由を追及したところで、結論は決まっています。自分が悪かった、という結論です。忘れようとした自分、忘れてしまった自分に責任があると。

「過去に戻る事はもう出来ないので、その時の過ちは、今の行動で反省して」と一応理屈としては分かっておられるようです。しかし、「今」を意識しつつも「過去」に戻ってしまうことを繰り返しておられるのでしょう。その心境は分かります。辛いことって忘れがたいし、何度も思い出すものですよね。

重大な過去の事実を忘れることは出来ないし、忘れて現在を生きましょうとは申しません。あなたに不足しているのは、手の届かなくなった命をどう見ていくかという位置づけではないでしょうか。

あなたのご宗旨が分かりませんが、私は浄土真宗から申します。

亡くなった人は極楽へ往かれたと捉えます。つまり、亡くなったその命は極楽で仏様になった命なのです。仏様にならせて頂き(阿弥陀如来様のおかげで)、今、阿弥陀様と共にあなたに手を合わせよ、極楽への道筋を聞いていってくださいよ、と働きかけてくれる存在になった、と捉えるのです。

そして、母親として生き抜いて命を全うされたその暁には、その子と再び会える、あなたの今の家族とも前後はあれども会える、そんな世界が広がっているのです。あなたは先立った子供を心の奥底に思いつつ生きて、そして再び会えることを期して命を終えていけるのです。

忘れていたかどうか、が問題なのではありません。
あなたが今、亡き命と共に生きているということを知らないのが問題なのです。

お仏壇があるなら、手を合わせてください。
ないのなら、近くのお寺、お付き合いのお寺でもいいです。

亡き命と共に、今ある命と共に手を合わせて生きていきましょう。
御身お大事に。

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有り難し
おきもち

釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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質問者からのお礼

お返事ありがとうございます。
今の家族に感謝の気持ちを持ち、そして、亡くなった命のために、毎日手を合わせ、想いを伝えようと思います。
時間がかかっても、過去の自分も受け入れ
今できる事を精一杯できるようにしたいです。

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