今目の前にいる子、空にいる子
おはようございます。
子供が一人いる主婦です。そしてもう一人、産んであげられなかった子が空にいます。人工中絶した子です。
その子にも名前をつけて、エコー写真を大切に持っています。夫婦で一生忘れる事はありません。
中絶は人によって意見が分かれる、難しい問題だと思います。知人に中絶するのは、その子に愛情が無いからだと言われました。
私は憎くていらなくて、中絶をしたわけではもちろんありません。言い訳かもしれませんが、産んであげたかったけれど、病気でどうしても産む決断ができなかったのです…。
私は今目の前にいる子も、空にいる子も、私の大切な宝物だと思っています。
そう思うのは詭弁、奇麗事でしょうか?
中絶でさよならした子を、今いる子と同じく大切に思う事はいけない事でしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
命の時間には制限はありません。
今日は。
思い続けること、それはとても大切です。でも、一つだけお願いがあります。未練という綱でつないではなりません。何故・・?人は亡くなったら終わりではないからです。愛した人や家族の中に霊魂は入って、命の時間を共に過ごします。絶えずに思い切り泣いて、想い出に共感をして寄り添って・・それぞれのペースで時を過ごし、自然と涙が止まりもう大丈夫・・そう思った時、それぞれが新たなストーリーを歩み出すのです。
此岸から彼岸(この世からあの世)に旅立れた方も、新たなストーリーを歩み生まれ変わるのです。心のアルバムにはしっかりと共に歩んだ出来事を刻んでいるのです。いつでもそのアルバムを開く事が出来ます。未練と言う紐を繋いだままだと、新たなストーリーに歩み出せないからです。思い出して手を合わせた時、側に現れてその姿にいつでも微笑んで応えてくれます。
私たちの命。幾度もの試練を乗り越えて来た生き抜いた”証”であり、父母の願いや想いそれらを継いで、過去でもない、未来でもない、この瞬間を生きているのです。この世に生を受けることは、何百倍という奇跡の倍率とお母さんと赤ちゃんの絶妙なタイミングとチャンスが重なり合って生まれて来る奇跡なのです。どちらかのバランスやタイミングがずれていると・・仏さまが今はその時ではない・・・と生まれてくる事が出来ないのです。
水子さまはしがらみも苦しみも、辛くもなく仏さまの御心の中で身体や心の傷を癒されて新たなストーリーを描いて、次に生まれる準備をされています。
失った出来事よりも、大きな気づきを与えて頂けませんでしたか?当たり前という事はなく、命は何よりもの宝という意味を。周りに大切な心を奪われたり、惑わされずに、あなたはあなたらしく、この瞬間をお子さまとご家族と笑顔で過ごされる事こそが、水子さまが望んでいる事なのでありご供養なのです。人生も運命も自分自身もいくらでも変えられます。ご縁があり結ばれた家族と人生と言う冒険旅行をあなたらしく描いて仕合せに歩まれる事を、水子様とご一緒にお祈り致しております。
水子様に心から・・・南無大師遍照金剛
合掌 礼拝
質問者からのお礼
永寛様
回答をありがとうございました。深く胸に刻んでいきたいと思います。