心配性すぎる
こんにちは
私は極度の心配性です。
たとえばなにかひとつ失敗をおかしたりしたら、それに付随して他のこともどんどん不安になります。
自分のした行動により、悪いことが起きるんじゃないか、何か重要なことを見逃しているんじゃないか、こんな人間だとわかれば皆に嫌われてしまうんじゃないか。
常にそんな思考にとらわれて疲れてしまいます。
過去にしたささいな行動が何年もたって急に不安になったりもします。
いまも、色々なことが心配で、常に最悪の事態を考えてしまいます。
すべてを手放し楽になりたいです。こんな私に何かお言葉をいただけないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「苦にする・しない」はあなた次第
こんばんは。私もそのような思考に囚われることがあります。お恥ずかしい話、お経を読んでいて、うっかり間違えることがあるのです。
「あ、しまった。間違えた。もしかして気づかれたかも。終わってから指摘されるかも。弛(たる)んでると思われるかも」と、その後はもうドキドキで、それこそ浮ついた気持ちでお経を読んでしまう…そんなことがあったのです。
なので、意を決して「今間違えました。ごめんなさい」をきちんと言うことに決めました。ゴニョゴニョしない。自分の間違いに一旦ケリをつけて、息を改めて吸って再開する。そうすると、「間違える」ことが無くなった…りはしないのですが、「それを苦にする」ことは軽くなりました。
多分、ここがミソです。「それを苦にするか?」という扱いが仏教を学ぶ目的です。「失敗をおかさなくなる」…減らすならともかく、根絶は難しいでしょう。けれど、その「失敗を苦にするか否か」の自由は、いつだって私達の手元にあるのです。
何かの失敗をした。それをきちんと精算していないと、後になって「もしや…」と育ちやすいものです。きちんと謝れていなかったり、ケリの付いていないことを潰していくことで、気軽に生きられるようになっていくと思います。
とりあえず止まって一息ついてみて
拝読させて頂きました。
あなたのお気持ちよくわかりますね。私もよく不安になることありますからね。不安が不安を呼んでどんどん自分を追い込んでいってしまいますからね。そして余計に悪い方に悪い方にとってしまい恐怖で体が震えてしまうまでいってしまいますからね。
そのような時はやはり一息ついて立ち止まって落ち着いてみることが大切ですよね。ちょっと止まってみてゆっくりと呼吸を整えてから心が落ち着いてくるまで待ってみて、それからもう一度ゆっくりと冷静になって考え直してみることが大切ですよね。
そうやってゆっくりと考え直してみると実は大したことないものですし、それほど悪いことでもないですからね。或いは自分のしてしまったことで結果をみて経験を積んだことで見直してみると何が良くて何が悪かったかを理解するきっかけになり次のステップになるきっかけを見つけることができますからね。
あなたはそのようなことを繰り返して経験を積んでいきながら成長を遂げていくのですからね。
どんなことでも不安もありますし失敗もありますし後悔もあるものです。逆にそのようなことを踏まえていかなければ何もありませんからね。
あなたがこれからも様々な経験を積んでいきながら素晴らしい成長を遂げていかれますように豊かな人生を歩んでいきます様にと心から祈っておりますね。
そしてあなたを心から応援してますね。
質問者からのお礼
ご回答をありがとうございました。
お二方共に優しいお言葉をかけていただき感謝でいっぱいです。
失敗するとどうしても思考停止してしまいますが、それも糧に成長できるようにしていきたいです。
失敗を苦にするか否か…その自由はいつだって自分の手元にある。成程と思わされました。失敗や不安を抱える自分も認めていけるよう精進したいと思います。