他人を信じることができない
私は都内の大学に通う学生です。
大学の人間関係は問題ないのですが、高校時代の経験が元で人を信じられなくなってしまいました。
その経験というのは、友人だと思っていた方から嫌がらせを受けたというものです。
高校進学時、同じ中学出身の異性が一人だけおり仲良くしておりました。ある時交際を申し込まれたのですが、私はアセクシャルのため恋愛感情が持てず、その方に対しても特別な感情を抱いたことがございませんでしたので、交際をお断りしました。この後が問題でした。私は高校進学と同時に異性が多く所属する部活に入り、そこで異性の親しい友人がたくさんできました。そのことを良く思わなかったのでしょう、その方からの嫌がらせが始まったのです。嫌がらせの内容は、根も葉もない噂を流したり、SNSアプリの画像を加工しあたかも私が不謹慎な言葉や他人の悪口を言っているようにみせたものをクラスメイトに拡散したりといったものです。徐々にクラスメイトがよそよそしくなり、私と接触しないようにしよう、というような空気を感じるようになりました。それは学年、クラスが変わっても同じことでした。本当に辛い3年間となりました。
それから先、私は他人を信じることが出来なくなりました。私に向けられた優しさに対しても、どうせ裏切るんだろう、どうせ見返りを示さないと嫌がらせをするんだろう、と思ってしまい受け入れることができません。大学に入り友人に恵まれた現在も変わりません。
恋愛対象に振り向いてもらえなかったからといって自分勝手に私を傷つけたその方と、この経験から他人を信じられなくなった自分の弱さに対して未だに怒りを感じます。
特に、他人を信じられないという点に関しましては、仲良くしてくれる友人に対しても、少しでも情報を握られたくないという思いから些細なことでも隠し事をし、無意識に関係を浅く保とうとしてしまうのです。
また、あの時交際を受け入れていれば今でも他人を信じられる私でいたのかなと、後悔の念にさいなまれることがあります。
昔のように他人を無邪気に信じられた自分に戻りたいです。しかし、努力してみても過去の記憶が枷となり荒んだ自分に留まってしまっています。
私はこれからどう生きるのが正解なのでしょうか。また、湧き上がる怒りはどのように抑えれば良いのでしょうか。
道を教えていただければ幸いです。宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
勇気をもって相談してくださり、有難うございます。
まず、あなたがされたこと、そしてそれからの苦労を想像すると胸が張り裂けそうでした。どれほどつらかったことかと思います。今まで頑張ってきた自分を褒めて欲しいです。
この質問を読んで私なりに感じたのは①あなたが怒りを処理できていないという事。②あの時受け入れていたら違っていたのではと後悔されている事です。解答は千字以内で限界があるので2点に絞って少しお話させてください。
②に関して、あなたは間違っていません。相手を責めて良い。その男性は自分が受け入れられなかったから、嫌がらせをしました、それは許されない事です。どう生きるか、誰と付き合うかはあなたの自由です。誠実な人なら相手の生き方を尊重します。彼はそれが出来なかった。もし仮につき合ってたらもっとひどい目に遭っていたことも想像できます。悪質なハラスメントです。自分の選択は正しかったと思って欲しいです。誠実な男性なら何ら問題なかった事です。
①に関し「怒りを抑えるにはどうしたらいいか」という質問ですが、あなたは徹底的に怒り切る必要があるのかもしれません。そのプロセスが必要で今そこに差し掛かっているのではないでしょうか。トラウマケアのセラピーを受ける。トラウマケアの本などを読んでいく事をお勧めしたいです。あなたと同じような被害を受けた人たちが、どう怒りを適切に表出させ、トラウマケアし、前に歩み始めたか書かれています。されたことを、信頼できる専門家や自助グループの方に語ること。語りのプロセス通して怒りを出し切るのです。ノート等に書くという事も有効です。過去の事、心に出てきた怒り、今日してしまったこと、後悔、それは悪かったのか?それとも自分が悪いことではないのか、書くことで明らかになります。非常に原始的で気力がいる作業ですが、意外とこれが大事です。
そうしたプロセスの中で、人との距離の取り方や自分はどうありたいのかじっくり考えていきましょう。これはすごく大変な過程です。しかしあなたは辛い思いをした分、周りの人や自分と同じように悲しんでいる人を大切にして手を取り合っていく、優しい人に成れる可能性もあるのです。できれば、これからも一人で悩むのではなく、専門家や他者を頼っていってほしいです。蓮の葉にも相談して下さい。
[参考図書]『赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア』、『心がつながるのが怖い愛と自己防衛』、田房永子さんの本
質問者からのお礼
釈義行様。お返事誠にありがとうございます。
まず「自分を褒めて欲しい」というお言葉、とても気持ちが休まりました。思えば確かに私は頑張ってきたのかもしれません。5年経ってやっと気づくことが出来ました。
次に②について。「お相手を責めていい。ハラスメントだ。」 というお言葉が腑に落ちました。私がセクシャルマイノリティーだから、少数派だから、相手が気を悪くしたのかと悩み、そうであれば自分はこれからどう生きていけばいいのかと、この時のことを思い出すたびに将来に迷っておりました。自分の中の方法で、しかしそれを他人に押し付けることなく、人付き合いをしていこうと思えました。
そして①について。「怒りを抑えるために怒り切る」というお言葉。確かにそれが必要なのかもしれません。今までやってこなかったことです。自分の理想の人間像として、辛いことがあっても常にニコニコしている、そういう人間への羨望があったために、怒りや弱点を他人に晒すのは恥ずかしいことだ、と思い込んでおりました。
お言葉を受けて、ノートに書いたり専門家の方にお話をしたり、なんらかの形で「外に出す」ことに挑戦してみます。最初こそ恥ずかしいかもしれませんが、頑張ってみようと思います。そういうことを少しずつ重ねて、また人を信じられるようになったら、たくさんの人といろんなお話がしたいです。オススメ頂いた本も、この自粛期間の際に是非読んでみようと思います。
最後に、お言葉通り、周りの人の心の痛みを人一倍考えられる人間になりたいと思います。他人の心について考えるうちに、なりたい自分になれる気がします。
お言葉を聞いて私の中に生まれた「意思」は、時には揺らぐこともあると思います。その揺らぎを無理に押し付けず、少しずつ慣れさせていこうと考えております。
改めて、この度は本当にありがとうございました。救われました。