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愛犬の死をつぐないたいです

回答数回答 1
有り難し有り難し 25

先日、愛犬を自宅で家族と看取りました。
13歳の小さなかわいい子、うーたんといいます。

土曜日に異変を感じ、その後容態が急変し、月曜日の朝に息を引き取りました。
脳腫瘍でした。
土曜日曜と連日で病院に行ったものの、病名の候補をいくつか告げられ、はっきりとした診断はありませんでした。つらい検査だけで、大変なストレスだったことと思います。ふらふらする足元で階段から踏みはずすこともありました。自分のせいで、死期を早めてしまったに違いありません。
あのとき病院に行かなければ、あのときゆっくり寝せておけば、、あのときちゃんと見ていれば、、あのとき獣医さんが、、あのとき、、あのとき、、と後悔と懺悔ばかりです。
私に出会わなければもっと幸せだったのではないだろうかと、出会ったことさえも否定してしまいます。
小さな命をまもることを心に、これまで大切に大切に育ててきましたが、最後の最後で取り返しのつかない、命にかかわる過ちをおかしました。
あんなに優しくて愛のかたまりだった子が、なぜあんなに急に苦しい死となってしまったか。
自分のせいで。自分が性急に病院に行ったりしたから。あんなに病院が嫌いな子だったのに。もっと冷静にうーたんの気持ちだけを考えて行動したらよかった。

悪夢のように土日のことが繰り返し繰り返しループし、自分の人生があの2日間だけになったようです。このループが、脳腫瘍による旋回の症状と重なります。

悲しみを癒すとか乗り越えるなんて、そんなおこがましいことは考えていません。
うーたんにとって一番よいことを教えていただけますでしょうか。
お話を聞いてくださってありがとうございます。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

命の事実

はじめまして、ご相談拝読しました。愛するワンちゃんのご命終に謹んでお悔やみ申し上げます。

愛するペットとの別れは辛いもの。私も大学生の頃に愛犬を亡くしました。実家で親が看取ったのですが電話で話を聞き涙し、あとから動画をみてまた号泣したものでした。

さて、

>最後で取り返しのつかない、命にかかわる過ちをおかしました。

とのことですが、本当にそうでしょうか。命の領域ですから神のみぞ知るというか、人知では分からない部分が大きいです。それにわかったところで思う様にできるものでもありません。
結果論から激しく自責し後悔なさっていますが、その時のあなたとしては責任をもって出来る限りのことをしたのではないでしょうか。

また、亡くなり方やその時の様子の印象も大変お辛いものであった様にお察ししますが、ワンちゃんの生きてきた命の時間の全てが、いわゆる死に様の一点をもって全てその評価に覆されてしまうとしたら悲しい事です。

ワンちゃんがあなたと幸せな時間をこれまでずっと過ごしてきたことは間違いのない事実ではないでしょうか。そのことを忘れずにいてあげましょう。

命あるものはやがて命終えなければいけない。どんな命も、老い、病み、死すことは避けられません。そしてそのタイミングや有り様も思い通りになどできないものです。

別れの悲しみは辛いものですが、その悲しみに目が覆われて視野が狭くなり、自分の思いだけにとらわれてしまうことをワンちゃんは望むでしょうか。ワンちゃんはどんなあなたが好きだったでしょうか。

けして無理に明るくする必要などありません。悲しい時は悲しいままに、寂しい時は寂しいままにでもいいのです。自然な気持ちの中で亡き命に手を合わせ、そこから問いかけられてくるものを受け取っていきましょう。

ワンちゃんだけではありません。私もあなたも毎次毎秒こくこくと老病死する命を生きています。
ワンちゃんは先立ってその事実をあなたに伝え、そしてその限りある命をあなたはどう生きる?なぜ生きる?と問うてくださっているのです。

その問いに性急に答えを出すのでなく、問いを引き受けていく歩みが大事です。そこに亡き命と共に歩むということがあるのではないでしょうか。ワンちゃんはもうあなたを離れては存在しません。あなたに問いかけ、促すはたらきとなってずっと共にあるのです。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

吉武文法様
この度はあたたかいご回答と問いかけをありがとうございます。
どんなわたしが好きだったか。いつも愛犬のために即興の歌を歌って、楽しい時間を過ごした自分。楽しそうに笑っている自分。そんな自分を好きでいてくれていたと思います。
愛犬が歳をとっていくのをどこかで否定して、この時が永遠だと現実逃避してしましたが、愛と命を教えてくれた愛犬に感謝して、少しずつでも愛犬に恥じないように行きていければと思います。
まだまだ落ち込んでは、いただいたコメントを何度も読むと思います。
本当にありがとうございました。

吉武文法様
今日も読み返しています。ありがとうございます。

「ワンちゃんはもうあなたを離れては存在しません。」
という箇所を
「あなたを離れて(しまって)存在しません。」と読んでいたので、そこだけとても悲しい気持ちになっていたのですが、今日きちんと読み返して、共にあるということをかみしめています。

あらためてお礼申し上げます。
どうもありがとうございました。

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