水子供養をしたいのですが、、、、。
私は、今から12年ほど前、当時交際していた彼氏との子供を中絶しました。本当は産みたかったですが、経済的な理由で周りから大反対され、最後は子供の幸せのためと言い聞かせて、中絶の道を選びました。
その後彼とは別れてしまい、忙しさや体調不良を言い訳に、永代供養をしていませんでした。
8年前、1年間の交際を経て今の夫と結婚しましたが、結婚して8年になる今もまだ子供ができません。
世間では、水子を出すと水子が子宮に住み着いて、二度と子供ができなくなるという説もあれば、水子に祟りなどないという説がありますが、結局はどちらなのだろう、、、、。確かに供養を10年以上しなかった私は酷い人間だと思います。でも、必死に前を向いて努力してきたのに!それでも幸せになってはいけないの?!私は自分の子供を産むことさえ許されないの?!どうして私の幸せになりたい気持ちを邪魔するの?!どうしていつまでも私の側を離れてくれないの?!と、あろうことか水子に対して怒りを持ってしまうような私は、供養に行くにはふさわしくないですよね。
自分の都合で子供の命を消すような私は、一生罪を背負わなくてはいけないのですか?
怒りを抑えられず、時として殻に閉じこもってしまう。他者に危害を加えないための防衛策だと考えてしまう。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
因果関係を見定める
はじめまして。ご相談拝読しました。
12年前のことは大変お辛く、悔しく、悲しかったですね。何とも言葉にできないほどの思いをされた事と思います。
供養はしていないとは言っても忙しさや体調不良の中でもずっとあなたの中でこのことが課題としてあったからこそ、今回のご質問として表れてきたのでしょう。
本当は産みたいのに産まないという決断をくだすこと、これは人間の社会ではあることだと思います。あなただけを責めることなどけしてできません。でもその事実を正しく見定めるならば厳しい言葉になりますが、それは大人の都合なのです。
その事実に「子供の幸せのため」という考えを重ねて対処しようとしても、事実を受け止められていないからこそ、今度はその考えによって逆に「(幸せを願っての決断だったのに)子どものせいで…」というようになってしまうのです。
つまり、あなたは産んであげられなかった子どもに振り回されているのでなく、自分の考えに振り回されているのです。
供養するのにふさわしいとかふさわしくないとかありません。むしろ自分の都合に振り回されてしまう弱い存在の私たちだからこそ、亡き命からの問いかけ・促しを聞かせていただくために供養の場に身を置くのではないでしょうか。そして供養を通して厳しい命の事実と真向いにさせていただくのでしょう。
さてさて、物事の原因と結果の因果関係を正しく見定めるのが仏教の教えです。お子様を授からない不妊の原因は亡き命ではありません。
不妊には不妊の原因があるはずです。もちろんそれは人知…つまりは現代の医学をもってしても分からない場合もあります。
しかし大切なのはきちんと病院で調べることです。既に受診済みかもしれませんがそうでなければご夫婦お二人で受診しましょう。不妊の原因は男性側にある場合も、あるいは夫婦の血液型(Rh因子)不適合の場合もあります。必ず検査をすることをオススメします。
もちろん供養よって事実に真向うことで、心の区切りが精神的に良い作用をして妊娠につながることも万が一つにないことはないかもしれません。しかしそれはあくまでも副産物であって、供養の目的は命の事実に妊活こと、妊娠のためにすることは受診と正しい妊活です。
罪を背負うとは不幸がもたらされることではありません。自分の弱さに向き合っていくことです。
あなたのこれからを念じております。
おはようございます。
質問文拝見しました。
私は水子そのものは祟らない立場の僧です。水子は恨んでませんよ。
ご質問文を読ませていただく限り、水子さんのことを十分気にかけていらっしゃいますし、何より、水子さんとお別れしたときは八重桜様もお辛く悲しい思いを持たれていらっしゃたこともご質問文より伝わります。
大丈夫。水子さんは責めてませんよ。
とはいえ、不安になる気持ちもわかります。
水子さん一人が八重桜様の人生を振り回している訳ではないですが、頑張りが報われていないとき、不安になるのも致し方ない部分もあります。
明日はこどもの日。
今年はお勤めをします。
これから世に出る備えをしている子、生まれた子、生き辛さを感じている子、すでにこの世とお別れした子、さまざまな子のことを思いながらお勤めします。
子どもだけでなく、親の健やかさも願うとともに、八重桜様ご夫婦の願いが成就されるよう、微力ながら念じます。
深い呼吸、睡眠、生活リズム、うまくアドバイスできずすいませんが、健康な心身を願います。
大切なのは純粋な思いと祈りです。
初めまして、お早う御座います。
御供養とは、お金を掛けて立派にする事や、立派なお仏壇やお墓を購入する事では御座いません。純粋な心と祈りが一番大切です。
この身体には、幾度となく試練を乗り越えて来た先人方やご先祖様の生き抜いた証であり、さらに父母の願いと想いが重なって宝くじが当たる何百倍という確率の奇跡の命であり奇跡の中に生かされています。
お母様とお子さまそれぞれの絶妙なタイミングやチャンスが重なり・・この世に生が受けられます。仏さまがどちらかのタイミングなどが調和されていないと判断されると・・生が受けられないのです。人は亡くなると終わりではありません。彼岸(あの世)で、傷ついた魂が癒されて、新たなストーリーに向けて描き歩み出します。そして・・生まれ変わるのです。水子様は、しがらみも苦しみも辛さもなく、本来の姿でそのチャンスに備えているのです。
あなたの事を決して恨んだり、憎んだりはしていません。大切な気付きを与えて頂けましたね。その気付きを決して忘れずに、心と身体が癒された今・・しっかりと立ち止まって瞳を反らさずに人生と言う冒険旅行のもう一人の自分と向き合って、それぞれが新たなストーリーを歩み出す為に、御供養をされてください。
命の時間は制限がありません。お互いがもう大丈夫・・そう思った時に、大切な一歩を歩み出すのです。そして、笑顔で新たな家族と日々を過ごされる事を水子様も望んでいます。願っていれば・・あなたの元に生が受けられます。タイミングとチャンスがいつ訪れても良いように、掴んで育んで行って欲しいです。
人生も運命も自分自身も、いくらでも変えられます。結果をすぐに出そうと急がずに、大切な心を惑わされたり奪われずに、あなただけしかない良さがあります。その良さを活かして、この問題も留まる事なく動き出します。笑顔で、お子さまを抱っこして家族で微笑む姿をイメージされて、過去でもない、未来でもない、二度とないこの瞬間をあなたらしく人生と言う冒険旅行を仕合せに歩めますように、お祈り致しております。
水子様に心から・・南無大師遍照金剛
合掌
質問者からのお礼
厳しいお言葉、温かいお言葉、全てにとても感謝いたします。自分の気持ちに整理がつかず、悲しさやイライラを周りにぶつけてばかりだったのですが、相談して本当に心がすっきりと落ち着きました。
本当にありがとうございます。
いただいたアドバイスをこれからの日々に活用します。