生きていることが申し訳なく思ってしまう。
春から大学生になります。
私はふとした瞬間に、生きていていいのかな?と考えてしまいます。
自殺を考えてしまう時もあるのですが、このサイトで見た、生きていることは、辛く、苦しいものであり、自殺をしても、さらに苦しくなるという仏様の教えを知って、考えを改めようと思ったのです。
しかし、私自身に才能も優れた所も見付からずにいます。折角親に大学まで行かせてもらったので、精一杯頑張りたいと思うのですが、夜になると、こんな私がいても良いのかな?と考え込んでしまいます。
もしも、私が頑張って生きた末に挫けてしまったりしたら、私は仏様に頼っても良いのでしょうか。
今まで人に対して迷惑をかけない様に生きる事を心がけてきましたが、私は心根が卑しいので、悪いことも沢山したと思います。救われたいと思って良いのかわかりません。何故か生まれてきたことが申し訳ないと感じます。消えたいと思っても、死後が恐ろしいです。
どの様な心構えで日々を過ごせば良いのでしょうか。
ご回答いただければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたはあなたを全うする
ご相談拝読しました。新大学生さんですね。
今は新型コロナウイルスの関係で授業が始まらない感じでしょうか?もどかしい時期でもあり、色々と考え詰めやすい時期でもあるかもしれません。
さて、自殺を考えてしまう時もあったくらい自分のことが受け入れられない感じがするのですね。でも同時に救われたいとも思うのですね。
どの回答を見ていただいたのかわかりませんが、たしかにお釈迦様は人生は「苦」であると説きました。しかし仏教で説かれる「苦」とはただ単に苦しいとか辛いということでなく「思い通りにならない」というニュアンスです。
それならばその「思い通りにならない」ことと向き合えたなら、人生は苦しいだけではないと思うのです。
仏様とは頑張っている人だけを救ったり、悪い人に罰を与えたりするような人ではありません。いつでも、どこでも、誰にでもあてはまる真理を説いてくださる方です。私たちが求めようと求めまいと、既にして私たちに真理に気づいて欲しいと願いをかけてくださっている方です。
だからあなたも素直に救いを求めていいのです。仏様に救われるとは仏様の教えによって自分自身のことを明らかにされ、その自分を受け止めさせていただくということだと思います。
世界には色んな人がいます。みんな生まれる縁ととのって生まれてきました。生きていてはダメな人なんかいません。
一本の木があります。木は根や幹や枝や葉があって一本の木として全うしています。枝はオレこそが木だとは主張しません。葉は一番上の葉だけが葉なのでなく下の葉も同じ葉です。それぞれがそれぞれの役割を全うして、全体で一本の木として全うしているのです。
人だって社会だって同じです。ある分野のトップは一人でその分野の山の頂上にいるわけではありません。山を作ってくれる多数の存在があるからこそ頂上にいさせてもらえるだけです。そうして一つ一つの関係が社会全体を織り成します。
あなたはあなたの縁を生きればいいのです。あなたはあなたを全うすることが救いです。他の誰かになんかならなくていいのです。代わってもらうこともあげることもできないのです。
あなたは「天上天下唯我独尊(唯だ、我、独〔ひとり〕として尊し)」たるあなたなのです。誰かや何かと比べて尊いのでなく、あらゆる関係の中のあなた一人として尊いのです。
質問者からのお礼
回答していただき本当にありがとうございます。
ずっと自分は生まれて来るべきでは無かったと考え込んでいたので、生きていてはいけない人間はいないと言うお言葉に本当に救われました。
こんな私でも救いを求めても良いと、生きていても良いと仰ってくれるお方がいて嬉しく思います。
今はまだ出来るかどうか不安ですが、精一杯自分をまっとう出来る様に頑張りたいと思います。
たくさんの質問がある中で見つけて下さって本当にありがとうございます。