自分が生きて良い意味が分からない
大学在学中に出産し、卒業したものの主人の営む美容室でお手伝いさん程度。
子どもは発達障害の長男が5歳、グレーゾーンの次男が3歳。
診断はあるものの、育て方が悪かったと自分を責め、仕事も大して使えるわけでもなく、何においてもうまくいかないのは自分の努力が足りないのだと自覚はあります。
ただ、何をするにおいても疲れ、全てが中途半端でみんなに迷惑をかけてしまいます。
私が親じゃなかったら子どもはもっと幸せなんじゃないか、私じゃない人を雇うほうが仕事は効率がいいのでは、私がいてもいなくても、日常は回るし、生きてて何をしてもダメな方向にいくならいっそ、いなくてもいいのでは?と、毎日消えてなくなりたいとばかり考えています。
希死念慮は幼い頃からあり、家庭環境のせいだと自覚はありますが、もういい歳なので育った環境のせいにしたくない自分もいます。
私じゃない誰かの方がみんなが幸せなんだ、自分がいない方がみんな幸せなんだという思いにだけは自信があります。
かといって、仮にいなくなることに失敗してしまうともっと生きるのがしんどくなるのは経験済みなので、生きてもいいと思える努力をしたいです。
が、思考が上手く変わりません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたの代わりはどこにもいない
ご相談拝読しました。一緒に考えさせていただきます。
お手伝いも立派な仕事です。家事に育児に仕事にお疲れ様です。
>私じゃない誰かの方がみんなが幸せなんだ、自分がいない方がみんな幸せなんだという思いにだけは自信があります。
とのこと。そんな根拠のない自信は捨てましょう。それは自信ではなく思い込みです。それも自分をいじめる思い込みです。
あなたの代わりはいないのです。それはあなたが優れているとかそうじゃないとか、能力の面で言うのではありません。あなたという存在そのものが代わりのきかないものだということです。
お子様にとっての母としてのあなた。お連れ合いにとっての妻としてのあなた。色んなあなた。
世界を見渡せば、もっと優しい人もいるかもしれない。もっとテキパキ動ける人もいるかもしれない。もっと疲れにくい人もいるかもしれない。
そういう人に能力や役割の面でだけは代わりがきくかもしれない。でもそれは空想の中での話し。
今ここの現実は世界中の誰でもなく、あなたの場所にはあなたしかいない。他に代わりはいないのです。
それはあなたの中でもそうです。違う家庭環境が良かったかもしれない。違う性格や体質が良かったかもしれない。
でもあなたは今のあなたでしかない。そのいただいだご縁を大事にすることが自分を大事にすることになります。
いただいている今のご縁を認めるしかない。気に入るも入らないも超えて、これが私だと腹を括る。
生きていいとか悪いとか、だれかに指図される前に、自分で思い計らう前に、無数のご縁が今あなたという存在となってここに成立している。あなたという存在はあなたが思うよりも深くて広くて大きいのです。
だからちっぽけな自分の思いで自分をいじめないで。いただいたご縁を一つ一つ大事にしてみてください。
あなたは代えがきかない。唯一無二の存在です。
みんなに迷惑をかけていいのです。お互い様です。あなたは少しずつ、あなたを大事にすることで恩返ししていけばいいのです。あなたが幸せになることが恩返しです。
またいつでもお話をお聞かせください。
質問者からのお礼
この度は回答ありがとうございました。
辛い気持ちを支離滅裂に書き殴った文章に、とても丁寧に答えてくださって、感謝しております。
ずっと懐に入るような、優しいお言葉に救われます。