遺品整理が、できません、したくない
主人が自死で亡くなってしまい、約半年…。
未だに、主人の歯ブラシやら、髭剃り、洋服、帽子、靴など、そのままにしています。押入れの物は書類などがあり、片付けたりしましたが。
なかなか、まだ死を受け入れる事が出来ておらず、未だ、仏壇の前には座る事が出来ず、手も合わせていません。合わせれない自分がいます…
たまーに、死臭?というのか、遺骨の匂いなのか、一瞬、匂いがする事があるんです。タバコの匂いでもなく、お花の匂いでもなく…
ん?と思って、また意識すると、その匂いはありません。
これは、主人が会いに、側に来てるのでしょうか?
何かしら、感じるものがあるという事は、やはり後悔だらけで、まだ成仏できてないという事でしょうか?
未だ、遺骨は家にそのまま。
主人がなぜ自死をしてしまったのか…など、家族揃って話す事も。
主人の物も、まだ整理しておらず、、
こんなんでは、なかなか、成仏できないんでしょうか?
たまに、する一瞬のにおいは、魂でしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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まず臨終のことを習うて
ご質問有難うございます。
拝読させていただきました。
時々、感じられる匂いは、旦那さまが心配されて、kamayuさんのところに様子を見に来られたのかもしれませんね。
人生のうちで何が難しいと申しますと、「別れる」ことほど難しいものはないでしょう。
お経の中で、「善逝(ぜんせい)」という言葉が出てきますが、
・引きどき
・引けぎわ
・別れぎわ
・死ぬとき
の立派なことを「善逝」と申します。
ほんとうに「別れ」とは嫌なものですね。
ワンちゃんが1匹なくなっても落ち着かなくなる。
ましてや、いとおしい人との「突然の別れ」ともなれば、図れるものもございません。
しかし、この世に生をうけた以上、例外なくおとずれる「永別」というさだめに対して、いたずらに目をおおい、耳をふさいでみたところで、それはあまりにも空しい抵抗にすぎません。
日蓮聖人が
「まず臨終のことを習うて他のことを学んでいきなさい」
と言われております。
その悲しさを、いつまでもくよくよとしているのではなく、むしろその悲しさを活力として1日1日を大切に生きなさいと、さとされているのだと思います。
本当に受け止めがたい旦那さまの突然の「死」ですが、しっかり受け止められたらと思います。
「善逝」という言葉の通り、最期の日を迎えるその日まで、「1日1日を大切に悔いのない生活をする」ためにも、日々よく生きることを心がけてください。
それをしっかりと受け止めることができるときに、旦那さまも安心して成仏されると思いますよ。
今後、前向きに生きられるようにお祈りしております。
そのままでいいですよ。
したくないなら
する必要はありません。
ご主人は
仏さまに導かれて
成仏されています。
でも
あなたのお気持ちは
そう簡単には落ち着かないでしょう。
でも
それが普通です。
当たり前です。
いずれ整理しても良いと思える日が来るでしょうから
その日までは今のままで大丈夫ですよ。
質問者からのお礼
心落ち着くお言葉、ありがとうございます。
主人が私達から別れを、自分で選んだとはいえ、やはり心配なんですよね…
子供達は、笑顔で毎日過ごしていますが、やはり泣いて寂しがる事もあります。
そんな時、フッとすごくいつもと違う匂いがするんです…
やはり、気になって成仏できてないのですね…
お返事いただいたお言葉を、病んでしまう時はまた読ませていただきながら、前を向いていこうと思います。
まだまだ、お返事をいただきましたが、気持ちの整理が出来ず、こちらでお話しさせていただきますが、またよろしくお願い致します。
ありがとうございました