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輪廻転生なんて本当にあるの?

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2日前に父がなくなりました。
父が生前心配していた、母のことを姉と支えたかったのですが、やることなすこと母も姉も気にいらないらしく実家にいたのですが帰ってきました。

姉は父の近くに住んでいたのにもかかわらず、自身がうつ病だうつ病だと言ってずっと父を心配させてきていました。
そんな姉をみていたので、父は私に近くに住んでほしいとずっと願っていましたが離婚などをしてたためお金がなくなかなかすぐにはとはいきませんでした。
結局心臓発作で倒れたときも母はパニック、姉は動揺してなにもできず、遠くにいる私が救急車をよびました。
葬儀の手続きも私が行い、葬儀のお金も私がすべて支払いました。
それにもかかわらず、母と姉は私の行動に批判をし、折り合いがつかず実家をでてきました。
父がいれば、間をとりもってくれるのにとおもいます。

会いたいのです。
父がいたから私の家族はなんとかまとまっていました

いつ会えるのですか?
本当に輪廻転生なんてあるのですか?
科学的には人は死ぬと無になりますよね。
輪廻転生は生きてる人間がそんな考えをしないと、辛いから考えられたお話なんじゃないかとおもいます。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

拠りどころをどこに持つか

こんにちは、初めまして。

まずは、お悔やみ申し上げます。
お悲しみでしょう。

「母のことを姉と支えたかったのですが、やることなすこと母も姉も気にいらない」とのことです。あなたのお母さんを想われる、お優しい心がうかがえます。結果としては報われなかったかもしれませんが、その御心はどうぞ大事にされていって下さい。

「会いたいのです」、その一言にあなたのお父さんへの思慕が凝縮されています。お辛いでしょう、お察しいたします。

あなたのお心に思いを致した上で、ご質問に回答いたします。
前提として、あなたの宗旨が分からないので答えにくいのですが、浄土真宗方面からお答えいたします。

「本当に輪廻転生なんてあるのですか」「科学的には人は死ぬと無になります」とお尋ねです。これはあなたが仏教に軸足を取るのか、それても科学にかという選択次第です。残念ながら両立はしません。

科学で考えるならば、死は肉体の停止です。それ以上でもそれ以下でもありません。死後に何もないのだから、 「いつ会えるのですか」の問いとは両立しません。

仏教的に考えるとどうなるか。
仏教では、人間は様々な行い(業)を日々作り出して、自分と他者に影響を与え続けて、それは良い方にも悪い方にも振れて行きます。行く末がどうなるか予測できません。その延長上に、死後どうなっていくのかという「輪廻転生」があります。つまり、その業を引き継いて、次はどうのような迷いの命を授かるのか。これが「輪廻転生」です。

死後だけを取り出して、あるのか無いのかを論じられないということです。自分の業を意識するという前提でないと、「輪廻転生」は空虚な物語のようになってしまうでしょう。

また、浄土真宗では極楽へ往生するといいます。「輪廻転生」する、という迷いの継続のようには表現しません。あなたが、浄土真宗の法話を聞いていって、故人は阿弥陀様のおかげで極楽へ往かせて頂いた、と思えるようになったその日にあなたは故人と必ず会えることが確定するでしょう。お経にもそうあります。

御身お大事に。
よかったら、私の法話を聞いていって下さい

浄土真宗のいろは
https://www.youtube.com/watch?v=14QKXhgPgkM&list=PLc6UK2ZHyUaHIMHzH7jNRqcgO9zJPbxC1

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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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亡き人と遇うとはどういうことか

ご相談拝読しました。まずはお父様のご命終に謹んでお悔やみ申し上げます。

何はともあれ「会いたい」というお気持ちは切なるものとお察しします。愛する身近な方の死は強烈に私たちを揺さぶり、何か言葉にできないようなものを投げかけてきます。
そのことをお父様を思う気持ちを通して確かめて参りましょう。その中で「お父様に遇う」ということが、はからずも自覚され得るのではないかと願うところです。

>科学的には人は死ぬと無になりますよね。

とありますが、科学は実験で証明するもの、あるいはそれが適わない場合は統計論的に推測するものであって、死については科学では実証不可能なのです。死んで戻った人はいませんからね。なので科学では「わからない」というのが揺るぎ無い答えです。

しかし「わからない」からといって死後を好き勝手に想像したり論じたりしても、それは「私がそう思う(思いたい)」という範疇を出ません。

仏教で説かれた、あるいは仏教以前からインドで説かれてきた輪廻転生がどういうものなのかは諸説あり、私の能力では説明しきれないものです。

ですがそれが仏教のものであるならば、「私がこう思う」というのでなく「私の思いを超えて今私に証される」というものでなければならないとは思います。

死後が有るか無いか実証できない以上、輪廻転生についても今の私において自覚されるものでなければなりません。浄土教ではそれは「罪の自覚」とされます。

「無始以来の罪」と言われますが、「今の私の罪深さはこの私が生まれた後からしてきたことで説明できるような程度ものではない」という様なものです。

ですから輪廻転生は再会というポジティブなものよりは、迷いを繰り返すという、どちらかというネガティブなものとして語られるものであり、あるいは強いて言っても、あらゆる生きとし生けるものと平等ないのち(=迷い、罪をかかえるものとして)であるという自覚であり、再会については「往生浄土」という問題で考え得るものでありましょう。

その時、亡き人との再会とは「私と私の真実への目覚めを促すものとしての再会」、「共に浄土に生まれるものとしての再会」として考えられます。

どちらも「私の思い」ではなく、信仰の中での「自覚」(教えにより目覚めさせられた内容)として証されるものでしょう。字数制限で書ききれませんがとりあえずこれまで。

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はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

ありがとうございました。時間がたって少し落ち着きました。母にガミガミ言われ続けてたので、楽になれたのかな、と思えるようになりました。聞いてくださってありございました!

「輪廻転生」問答一覧

解脱する方法は確立されていますか?

私には、「もう二度と人に生まれたくない」という、漠然とした、でも強烈な願望があります。 生まれ変わった自分は今の自分とは関係のない赤の他人であり、そんなことを気にする必要はない、なぜそのような悲しいことを考えるのか、もっと楽しく生きなさい なんてことを言われたりするのですが、むしろなぜ他のみんなはそう考えないのだろうと思うくらい 私にとっては本当に強く願っていることが「もう絶対に、絶対に生まれてこないこと」です。 仏教には輪廻転生の考え方があり、その輪から外れる方法が解脱だと聞き齧りました。 まだ仏教について何も知らない人間の質問で大変恐縮なのですが、 つまり解脱することができれば、もう命として何かに宿ることは二度とないのでしょうか。 私にはそれがとても魅力的なことに感じます。そこで、解脱の方法とは、こうである、と言うものが確立されているのであれば教えていただきたいです。 でもきっと、そんな簡単な、うまい話はないのだろうとも思いますし、この質問自体どこかズレているのかもしれません。 もし回答できるものではないのだとしたら、自己研鑽として、仏教について学びたいとも考えておりますので、何も知らない人間がまず手始めになにをすべきかを教えていただけますと幸いです。 このような場を設けていただいていること、質問のご縁をいただけたことに感謝致します。

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神通力

 前回「釈尊の悟りは神通力を得た結果?」を投稿しましたが、当たりのようです。  駒沢大学学長を歴任された水野弘元先生の著書「釈尊の生涯」の「成道と三明六通」には「(前略) そして濾尽智通以外の五神通は、必ずしも仏教者だけでなく他の宗教家や鬼神狐狸の類に至るまでも、浅深の差はあっても、これも得ることが出来るとせられる」と書かれています。  三明六通の「六通」とは先ほどにに記述の「五神通」とあるように、「六神通」と考えることが出来ますので、「神通力」を得たと考えて差し支えないと思います。  古代インド社会では「輪廻転生」は常識であったそうですが、当時のインド宗教者は、互いに神通力を競い合ったと考えられます。  三明の最初の一明は「過去に関するすぐれた智慧の宿命通(宿命明)」となっていますから、釈尊だけでなく、それ以前の宗教者にもそこに到達して、「輪廻転生」が世間に広まったと考えられます。  余談ですが、阿含宗を創設した桐山靖雄師は、著書「輪廻する葦」のなかで、成仏法と称して、神通力を修練することを勧めたようです。私は読んでいませんので想像ですが、論理の「阿含経」ではなく実践法の「雑阿含経」を研究していたようです。

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輪廻転生の考え方について

質問が2つあります ①仏教では輪廻転生と言う考え方で生まれ変わると言われていますが 人口の増減についてはどう考えているのでしょうか? 今の日本の人口は1億人を超えていますが 奈良時代 大宝律令ができたころは310万人~320万人ほどだったようです。 日本史の教科書では 昭和初期の満州事変が始まった頃のことを 日本は中国人4億5千万人を敵に回すことになった と書かれていますが 今は中国の人口は軽く10億人を超えています 同じ国籍だけに輪廻転生するとは限らない 世界規模で考えるべきとしても 現在世界の人口は70億人程度いるようですが 1世紀に前に比べても数倍になっています もっと言うなら 数万年前の ~~原人 とかいたころはどうなのか? とか いろいろ説明がつかないことばかりです。 昔の 江原啓之さんが出てくるような心霊番組はテレビでやらなくなりましたが (便乗した霊感商法 悪徳商法がはびこるようになるとか、輪廻転生を信じた人が人生をやり直すために自殺するケースが出たなどの理由で弁護士などがテレビ局に抗議したそうですが) 当時の番組では江原さんは輪廻転生を言っていて 「あなたの前世は~」と言う話になると 全て人間であり、他の動物だったケースは見たことがありません。 しかし 全ての人間が また人間に輪廻転生をするとすると 個体数の関係で辻褄が合わないことになります。 これは仏教ではどう考えているのでしょうか? ②私は亡くなったら全て「無」に帰す 霊魂も輪廻転生もないインチキだ と言う考え方は好きではありません。 それは 大切な肉親を亡くし時点で「永遠の絶縁」を意味するからです。 死ぬことは怖いとは思いませんが、肉親と未来永劫絶縁になると想像するほうが怖いです。 霊魂や輪廻転生を完全否定する宗教家の方もいるようですが、肉親を亡くしたら情なんて捨てろ と考えているのでしょうか?

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誕生の仕組み

 輪廻転生が真実であるとすれば誕生の考え方が大きく変わります。  まず結論から言いますと、「心は自分自身であり、親から貰ったものではない」と言うことです。 即ち自分の生老病死は自己責任であるということです。  ことわざからはじめますと、  「身体髪膚これみな父母より賜う。あえて損傷せざるは孝の始めなり」  これは身体だけであり、心は別ということになります。  「子は授かりもの」   もし心も親譲りであれば我が子であって、授かるとは言わないでしょう。  「とんびが鷹を産む」  親子の気質は別物であるという事でしょう。  「愚兄賢弟」  もし親譲りであれば、兄弟でも性格が違うとは、遺伝子的には考えられません。 原則的には類を以って集まるはずですから、性格が似ていることは多々あります。  臨死体験者(新堂のぶ子氏)の言葉(講演会にて)  「親が子を生むのではなく、子が親を選択する。」  ある宗教学者はネットで「龍樹と輪廻転生」と題し   「ブッダは、『大縁経』で、意識が母胎に流れ込むことによって、そして、そこで身心(名称と形態)が増大することによって、この世に転生するありさまを説明した。」と述べています。  「意識」は心と同一と考えてよいと思います。   以上が結論の根拠です。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ