何もかも迷惑になってしまう気がします
好きな人がいます。ながらく恋愛事に縁がなく、真正面から好きと言ってくれた相手で、年は10歳以上離れていましたが、とても嬉しくて気付けば私も好きになっていました。
同じ職場の方で、誠実な方で、人を楽しませたり、周りに気を使って雰囲気を和ませるムードメーカーさんです。
けれど、彼の私生活が大変な事になってしまって、お別れすることになりました。
「若いきみを巻き込めないから、自分からアプローチしていたのに、こんなことを言ってごめん」と何度も謝られました。
私のことを考えて、大切にしてくれてるのですが、とても悲しかったのです。
何よりも、私には何も出来ないことが悲しいです。
彼はなかなか返事は出来ないけど、連絡が来るのは嬉しいと言ってくれたのですが、そんな状況で、これから連絡したり、話しかけるのも負担になるのでは無いか、と考えてしまうと、何も出来なくなってしまいました。
そこからは、何度も顔をあわせる機会はあるのですが、彼は大人で、そんな自分の状況を全く悟らせず、普通に接してくれます。なのに私は、上手く笑えなくて、彼の辛い状況を考えると、どうしても普通に接することができません。
子供っぽい自分に嫌気がさします。
何も知らない方が彼と、楽しそうにお話しているのを見ると、苦しくなります。
何も知らなければ良かったのかも、という気持ちと、全部知ってるのに何も出来ない苦しみがあります。
また、彼に何かしてあげたいという気持ちさえ、迷惑なのではないかと思ってしまいます。以前から贈り物をする約束をしていたのですが、お返しなんていりません。でも彼は優しい方なので、お返しを考えてまた時間を無駄に使ってしまうんじゃないかと思ってしまうと、これもなかなか渡せません。また、自分のこの気持ちは本当に彼のためなのか、自己満足のためなんじゃないかと思ってしまうと、自分が嫌になってしまいます。
私はもう好きでいるということもやめた方が彼のためになるのでしょうか。毎晩のように1人になると涙が止まりません。好きでいるのも、迷惑なのでしょうか。
気を使わせないために、私は何もせずに、もう深くは踏み込まない方が良いのでしょうか。何をすれば彼の迷惑にならないのか、わからなくなってしまいました。したいことすべてが裏目に出てしまうような不安があります。
拙い文章ですいません。どうかよろしくお願いします。
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まずは自分が一人前になる
私が半人前の修行僧だった時、祖跡巡拝(そせきじゅんぱい)というのがありました。聖地巡礼のようなものと言えばイメージしやすいでしょうか。その旅の途中、バスを降り、トイレに向かっていた時、不意に女性の声が聞こえました。
「うわぁ、〇〇くん、お坊さんがいっぱいだね、すごいねぇ、お坊さんに頭なでなでしてもらおうか。なでなでしてもらったら病気が治るかなぁ。病気治るといいねぇ。」
声のする方を向くと、あまり動かない小さなお子さんを抱いた女性の姿がありました。私たちは順番になでなでしてあげました。なでなでしながらこう思います。(今ここで消災咒〔短いお経の名前〕の1つでも読経してあげたなら、少しでもこの母子の生きる活力なれるかもしれない。お子さんの名前を聞いて、1分もあれば、ごくごく簡単なご祈祷ができる。やってあげたいな…)でも、私はしませんでした。いや、出来ませんでした。当時の私はまだ修行生活を始めたばかりでお経も覚えていなかったのです。
(法話なんてとても出来ないし、お経の一巻すら読めない。俺って本っ当になんにも出来ないんだな…)そう思うと酷く情けなくなり、悲しくなりました。
それまで決して修行を怠けていたつもりはありませんが、この時から修行に対して明確な決意を持ちました。あの時、立てなかった一人前の僧侶の土俵に立ちたい…
さて、プロフィールを踏まえた上でちょっと厳しいこと書きます。その方はですね、あなたの好意が迷惑なのではありません。まだ社会に出ていないあなたを、同じ土俵に立っているとは思っていないのです。そりゃそうです。まだあなたは他人の心配をする段階ではなく、自立を目指す段階なのですから。迷惑になれる段階でさえ無いのですよ。
悔しい気持ちは痛いほど分かります。でも、まずは自分で自分を食わしていけるだけの立場にならなければ何も始まりません。全てを知った上で普通に接するスキルはお坊さんの必須スキルです。これは『練習』です。こういった成長も含めて一人前になるということです。
自分に嫌気がさすのは良い状態です。人が成長するために必要なエネルギーを与えてくれます。その悔しさを胸に、自分の目の前の課題を1つ1つこなしていって下さい。きっとそれが、優しいその方が一番望んでいることだと思います。そしていつか同じ土俵に立てたなら、その時の一人前の自分の判断に従ってください。