後悔や心配事が多く胸が苦しいです
仕事などで過去の失敗や過ちからくる未来の不確定要素に対してひどく心配し、不安や恐怖を覚えてしまいます。
「なぜあんなことをしてしまったのか。それがきっかけで多分ああなってしまうのではないか?」
「仮に解決したとしても、後でこのような問題が出てきてしまうのではないか?」など、深く考え込んだり不安になってしまいます。
最近は仕事だけではなく何事に対しても悪い方向に考えてしまい、自分自身に疑心暗鬼になってしまいます。
「今、この時は平穏に過ごせていても、近い将来必ず何かのきっかけでひどい目に合うのではないか?そうなったらどうしよう?」
「あのこと(過去の失敗などの出来事)は解決したが、そのことがきっかけで将来私にとって悪いことが絶対起こるかもしれない。そうなったらどうしよう?」などと考えてしまうことも多く、不安と恐怖で胸が苦しいです。
過ちや失敗があったとしてもその時や後に修正・解決し、自分の中で正しい方向へ歩み出したはずなのですが・・・。
全く心が晴れず、場合によってはそのことで周囲から非難を受けたり、そのほかにも何か悪いことが起こったりするのではないか?と考えてしまいます。
本来は心が軽くなって「私は失敗などを本来あるべき方向に修正した。たとえ周囲から過去のことで非難されたり辱めを受けても間違いや過ちを正したのだから何も心配いらない」と思えればよいのでしょうが・・・。
まだ何も起こっておらず、100%そうなると決まったわけではない不確定な未来の事に対し、悩み・不安に思い・恐怖に非常に苦しんでしまうこの心をどうしたら鎮めることができるでしょうか?
このままでは仕事で失敗するたびに自信を無くし、不安と恐怖ばかりが募っていくばかりです。
どうか心を鎮めるためのアドバイスをいただけないでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
それもまた有り難し。
よっしーさん、『悩み・不安な思い・恐怖』がなくなればいいと思いますか?
でも果たして無くしたところで
気持ちは晴れるでしょうか?
余計危険な目に遭うのではないでしょうか。
安全管理者じゃないですけど
『気にするうちは起こらない』というくらいだから
普段から慣らしておく意味でも
非常に鍛えられると思いますよ。
ずばり、よっしーさんを守ってくれているのだと思います。
確かにしんどいことではあるから
お酒に酔ったり、娯楽にふけったりして忘れたくなることも
ままあるかもしれません。
僕はそれでいいと思っています。
でもお釈迦さまはあんまりそういうのはおすすめしませんでした。
ただし、何でもかんでも目につく不安要素を消していってなるべくゼロにしようとするのもおすすめしませんでした。
そりゃそれが出来たら苦労しないですよね。
イエス・キリストは
『明日の分まで思い悩むなよ。
明日のことは明日みずからが思い悩むんだから、今日のことは今日だけでじゅうぶんだろ?』
みたいなことを仰っています。
それも出来たら苦労しないんですけどね。
『悩み・不安な思い・恐怖に非常に苦しんでしまうこの心をどうしたら鎮めることができるでしょうか』
一緒に念じてみましょう。
それもまた、有り難し。
それもまた、有り難し。
むしろ『悩み・不安な思い・恐怖』こそ
よっしーさんを護ってくれていると思いませんか。
『鎮めること』だけでなく『認めること』も
案外大事で、バランスがいいような気がいたします。
南無釈迦牟尼仏 合掌