2度目の資格試験に落ちてしまいました
去年の同じ時期にも質問させていただいたものです。
大学を卒業して3年目です。
前回資格試験1点足りず不合格となり今回こそはと思いアルバイトしながら勉強し挑みました。
しかし合格点には届きませんでした。
応援してくれていた母に本当に申し訳なく自分が情けなく思います。
母は来年も頑張れと責めもせず応援してくれました。
ですが母子家庭で学生の弟がおり、奨学金の返済もあるため経済的に余裕がないという現実もあります。
また自分の中でいつまでも学生のようにアルバイトしていること、
周りは社会人3年目という現実がとてもつらく自分だけ時間が止まっていると感じてしまうことがあります。
勉強も本当に一人で辛いと思うようになってしまいました。
資格は欲しいです。しかし精神的に辛いです。
あきらめる、というのも一つの道でしょうか?挫折なのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
再受験するならば、仲間を持ちましょう。
亀山純史です。
試験に向けての日々の努力が報われず、前回のご相談で回答させていただいた一人として、大変、心が痛みます。
私たちは様々な生活環境の中で、自己決定をしていかなければなりません。夢を追いかけることに、本来は躊躇しなくてもよい環境で生活をしたいものですが、現実はそうではありません。試験が年に数回あるものであるならば、「よし、次回頑張ろう!」という気持ちにもなれますが、年1回となれば、そこまで頑張ろうとする気持ちを持ち続けること、そしてそれに向けて勉強を続けること、どちらも辛いものがあると思います。でも、資格がほしいのであれば、来年も再チャレンジする道を選ぶしかありません。同じ資格を取得する人たちのネット(Facebook)上でのサークルとか、ブログはないのでしょうか。独りで悩まずに、励まし合える仲間がいればいいですよね。仏教でも三宝といって、「仏・法・僧」を大切にしますが、資格取得に当てはめてみれば、「仏」は「その資格を取った人」であり、「法」とは「その資格をとるための勉強内容」であり、「僧」は「その資格をとるために勉強している仲間」だと思います。独りで抱え込まないことが大切でしょう。なお、選択しては、数年たって再チャレンジ、という選択肢もなくはありませんが、それは非現実的でしょう。また、方向を180度変えて、資格を諦める、という道も確かにあります。しかし、その場合には、心の整理も含めて、「これでよし!」と言える代償がなければいけないと思っています。私事ですが、私は大学卒業後、大学院修士課程(仏教学専攻)に在籍していましたが、英語の教員の資格取得、そして、教員の採用試験への勉強のため、修士論文を書くことを諦め、結果的に大学院を中退いたしました。しかしその代わりに、英語の教員資格を取得し、現在、高校の教員をしております。今にして思えば、あの時もっと頑張って修士論文を書き上げていたら、と思うこともありますが、それを悔やむことはしません。それはもしも論文を書いていたら、教員の採用試験には合格しなかったと思うからです。
いずれにせよ、決めるのはあなた自身です。納得のいく選択を是非して下さい。
質問者からのお礼
前回に引き続きご回答ありがとうございました。ありがたいお言葉をいただき涙が止まりませんでした。また頑張ったからこそ結果は伴いませんでしたが涙が出たのだと思います。今は今後について心の整理も含め今できることをしようと考えております。「仏・法・僧」の考え方を今後大切にしていきたいと思います。
本当にありがとうございました。またご縁がありましたらよろしくお願いいたします。