母の余命が僅かです
80歳を迎えた母が、先月、癌に侵され余命半年と宣告されました。
母1人で私と弟を育ててくれたシングルマザーです。
苦労ばかりしてきて、やっと今母自身が望む生き方ができています。
今私は母と同じマンションの違う階に1人で住んでおり、子供もおらず生活の為に働くことも必要ではありません。
母の弟である叔父が母の生活費や、私自身持病を持っている為、私の生活費等の面倒を見てくれている為です。その面では叔父にとても感謝しています。
叔父と母は9歳の歳の差があり、祖父祖母共に早く亡くなったので、叔父からしても私の母は叔父の母代わりでもあるからです。
母は孤高にして慈愛に満ちた女性です。しかし孤高であるが故に在宅医療を選び、自宅で最後を迎える事を選びました。
側について支えているつもりですが、正直私が母に諭される事が多く、母の前では泣くまいと思っても涙を見せてしまいます。
今後母の最後のその時まで寄り添うつもりですが、その後母の存在が召された後、自分がどう生きていけば良いのかわかりません。
いっそのこと一緒に召されたいとさえ思ってしまいます。
母は芯の強い女性です。誰にも愚痴など言わず、誰にも何も求めず、ただ静かに愛情を分け与える女性です。
私など足元にさえ及ばない孤高で慈愛に満ちた女性です。
そんな母の無償の愛情を今更ながら感じ、感謝している反面、母の死後どうやって生きていけば良いのかわかりません。
共依存しているのは分かっていますが…。
先にお伝えした通り、私には持病もあり、働くこともままなりません。
何を生き甲斐にしていけば良いのかすらわかりません。
自身の身体の不調にも腹が立ちます。
どうか母の死後にも強く生きられる心構えをご教示して頂けますようお願い致します。
幼い頃から周辺で亡くなる人が多い環境下で育ちました。今でいうネグレクトにもあいました。幼い頃からある意味「死」というモノが身近にあり、生きる意味を見いだせない、というのが根底にあるように思います。何故人間は生きなければいけないのか正直解りません。自分を卑小に捉えているのかもしれませんが。生きる権利があるように死ぬ権利もあって当然と考えます。
実の父親からの愛情、金銭的な援助も与えられず、死際に交流さえ無かった父親に「お前は娘として儂に何をしてくれた」と言われたのが忘れられません。その怒りは死後何年経ても消えることがありません。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お母さんのことを書いて文章になさったら
実は、いま、とてもお世話になった方が事故死され、とても落ち込んでいる最中です。事故ですから、突然死ということになります。奥さんの悲しみは私などでは想像もできないほど深いものでしょう。明日、料理を作って奥さんのところに持参しようと思っていたまさにそのとき、あなたのお尋ねの文面を拝読しました。
あなたにとってお母さんはすべてなのだなぁ、と感じました。そのお母さんが亡くなったら何をしたらよいか分からない、どうしたらよいか分からない、とおっしゃっているのですから、本当にお母さんがすべてであるわけですね。だったら、後の事は考えないで、いまはお母さんとの関りを何より大切にされたら、と思います。
そんなあなたに、その後、何をしたらいいか他人の私に言えるわけがありません。
ただ、私も50代(58歳)ですから、両親をはじめ何人かの肉親を亡くしています。私が肉親の死に際して、何をしたかを参考にしていただければ、と思います。
前住職の場合ですと、胃がんで胃を全摘し数カ月を家で過ごして在宅のまま亡くなりました。私は、その時のことをなるべく克明に文章化しようと心がけました。もうすぐ会えなくなる人なのですから、前住職との関りを忘れないように記録するためです。
前住職が亡くなった後、檀家さんに追悼文を書いてもらって本にまとめ、皆さんに読んでもらいました。皆さんと共に前住職の記憶を共有することができてよかったと思っています。
いま、急死なさったお世話になった方の思い出をたくさん書いて、それを奥様にお贈りしようと考えている最中です。
もしかしたら、あなたもお母様との残り少ない日々を大切になさり、それを文章にまとめるなかから、お母様が目された後のご自身の生き方が見つけられるように思います。
文章が下手だのなんのとおっしゃるかもしれませんが、誰かに見せるためのものじゃありません。あなた一人のための大切な記録であり、思い出です。自分を考えをまとめ、整理するために書いてみることをお勧めしたいと思います。
お母さんと、じかに接することのできる時間を大切にしてください。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
母の事を文書にする…。それもたやすい事ではありませんが、やってみる価値のある事と思います。
急に大切な人を亡くすのと、余命が分かって亡くすのと、どちらがより悲しいかなどはわかりません。どちらにしても悲しいものです。
ただ私にはまだ時間がありますので、後悔するとは思いますが、母との時間を大切に過ごせる事を幸せと思い、頑張って最後のその時まで寄り添います。
ありがとうございました。