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昔のいじめを思い出す

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有り難し有り難し 63

 私は最近小学校の時に受けたいじめの事を思い出します。いじめた相手が夢に出てきたりします。もう30年以上前の事で忘れていたはずなのに、時々ふっと思い出すのです。その時に、どうしてもっとあの時やり返さなかったのだろうとか、親や先生に言って対処してもらわなかったんだろう、と自責の念にかられます。当時の私は、大変おとなしく余り感情を出さない我慢する子供でした。大人になった今ではだいぶ変わりましたが。だからこそ、昔された理不尽なことに対して、許せない気持ちがふつふつと湧き上がってきます。
 いじめをしていた人達は、二十歳の成人式に、悪びれもせずのうのうと参加していました。いじめだけではなく、学級崩壊もさせてた人たちです。それを見て、自分がしたことは忘れて何も反省していないのだなと思いました。
 現在彼らがどう生きてるかなんて知りたくもないですが、自分がやった事が倍になって返ってきて、不幸になっていてほしいと願ってしまいます。
 こういう考え方はよくないでしょうか。どうしたら自分の気持ちを納得させ、落ち着かせられるのかわかりません。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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どんなあなたでも応援しています。いじめた人は放っておく

昔の事を思い出し自責の念に駆られるのですね。相手への許せない気持ちもあり苦しんでいる。いじめっ子達が悪びれもせず生きていると思っていて悔しく辛いのですね。どうしたら自分の気持ちを納得させられるか。
いじめは心に大きな傷を残しますね。やった方は忘れているけど、やられた方は忘れられません。損をするのはいつもいじめられた方です。あなたの悔しさが伝わってきます。

世の中は思い通りになりません。辛く理不尽な事が沢山起こります。お釈迦様も一切皆苦(あらゆることが思い通りにならない)とか、怨憎会苦(恨み憎むものと出会わなければならない)と言います。これは人間皆が体験しなくてはならない。

人によっては虐待にあったり、いじめにあったりします。どうしてそうなっているのか分からない。それでも生きてほしい…とお釈迦様は言います。辛いです・苦しいです。でもそんな人間を仏は痛み・悲しむのです。自分の味方になってくれる人もいます。釈尊等の過去の苦労した人もそうです、あなたの痛みを悲しむ存在です。そういう味方になってくれる人や、自分が経験してきた喜びの方に、目を向けて下さい。あえて、過去の苦しみや愚かな人たちに目を向けなくていい。

過去の事と今の自分を分けて下さい。今あなたは安全な場所にいます。もうそういう愚かな人たちと付き合わなくていいのです。あなも成長しました、変りました。過去の事がフラシュバックしたら、今の自分と分ける。ああこれは過去の事思っているだけで、今私は安全な場所にいる。分ける。これがトラウマなどの対処で大事です。(分離といいます)

そして、仏教の基本は思い通りにならないことは思い通りにしなくていいという事です。いじめっ子の生き方を私達は思い通りになんかできません。しなくていいんです。恨んでも嫌ってもいい、でも放っておこう。それより、あなたは自分の喜び・楽しみ・これからに目を向けて欲しい。生老病死の苦しみは皆平等に訪れる。彼等もまたいつか死ぬのです。もう、彼等に対し、私達が自分で何かしなくていいのです。

彼等の不幸を願っていい、でもそれをしても、思い通りにならない。あなたは未来に向かってすすんでほしい。

【おすすめの本】人間といういのちの相Ⅲ、私とは何か(平野)、覚悟の決め方(田口)、自分の薬をつくる(坂口)、赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア、ぼくらの中の「トラウマ」、

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浄土真宗本願寺派の僧侶です。 産業カウンセラーの資格を持っています。...
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質問者からのお礼

結局他人はコントロールできないし、思い通りにならない事はどうしようもなく放っておくしかないですね。今私は安全な所にいて、過去の出来事と今の自分を分ける。この考え方に納得です。ありがとうございました。

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