ホームレスの人たち
町を歩いていると、時たまホームレスらしき方を見かけることがあります。
そこで、失礼を承知ながら質問です。
どうして、お坊さまは衣食住にも恵まれているのに(恵まれているように見受けられます。汗)ホームレスや、借金苦などの方々をお助けにならないのでしょうか…?
お坊さまも、切り詰めて生活なさっているのかもしれませんが、一般の人たちよりはお金があるのではないかなと考えました。
私の身近にも、ホームレスだったり借金で苦しんでいる方が居ます。
どうか、見かけたら助けて差し上げてほしいのです。
良くないことを考えたり、身に災いを受けている最中(自分のせいなので、お気になさらず。)の私からの願いです。
何も悪くないのに、寒かったりお腹が空いたり、良くない人と繋がることもある、借金苦の方々も、ホームレスの方と同様に、助けてさしあげてほしいです。
お坊さんからの回答 5件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「ホームレスは可哀想」なのか
ご質問、拝読させていただきました。
初めまして。Jikaiと申します。
衣食住に恵まれている『ように見える』聖職者である坊さんたちが、家もなく苦しんでいる『ように見える』ホームレスの方々を何故助けないのか。
課題がわかりやすく散乱しているのに、なぜ取り組まないのか。というお気持ちはとてもよくわかります。
と同時に、素直に疑問をぶつけていただくことにより、こういった場で我々についての説明をする機会をくださり、感謝申し上げます。
まず、こと私の寺に関してですが、布施収入だけで何もかもを賄えているわけではございません。
衣食住に恵まれている『ように見える』のは、自ら立ち上げた会社の事業による賜物かもしれません。笑
お寺のことだけで、一般の人たちよりも裕福な暮らしをすることは到底叶いません。
確かに、海外では教会で炊き出しを行ったり、チャリティのイベントを盛んに行っているということを実際に私もよく目にします。
と同時に、キリスト教的な『隣人愛』の感覚と、仏教的なものはまた違うものである、ということもお含みおきください。
お釈迦様は「あなた『目覚めた人』なんでしょう?それならあなた、なんだってできるでしょう」と散々言われた人生でしたので、そんな自分にもできないことくらいありますよ。ときちんと説明されております。
これを「三不能」と言い、ざっくり以下のことです。
1.前世の行いによる結果は、変えることが出来ない。
2.縁の無いモノは導くことは出来ない。
3.人をはじめとして、すべての生き物をもれなく救うことは出来ない。
お釈迦様は各地に出向いて法を説き、本当の救いを伝えることに人生を費やしましたが、その言葉が届かない人間だって少なからずおりました。
ご縁っていうものは目に見えませんが、確実に存在していますし、ツギハギで無理やりくっつけたりするものでもありません。
限りある時間の使い所を間違えないため、ご縁の見極めって結構大切なんです。
そしてね、ホームレスや借金苦の方々について「可哀想」だという感覚も、実は私にはあんまりありません。
すごく辛くて苦しい現実と逃げた結果が今の状態である、という人たちのことも実際に知っているからです。
その方々にとっては色んなしがらみに取り憑かれ、数少ない預金残高を気にしながら生きることの方が苦しみなのかもしれませんし。
おっしゃることわかります
拝読させて頂きました。
あなたはお坊さん達は衣食住にも恵まれているのにホームレスや、借金苦などの方々を助けないのか?と疑問に思っておられるのですね。あなたがそのようにお感じなさることや思われることとてもわかるように思います。あなたのその思いを受け止めさせて頂きます。
あなたがお思いになるように僧侶や聖職者は神仏の教えのもとに苦しんでいる人や迷っている人を救う役割があると私も思います。
まして僧侶は出家者です、つまり世捨て人ですから必要最低限の生活を営みつつしみ深く生きることが必要かと思います。
しかしあなたから見るとお坊さん達は全く衣食住にも困らないどころかとでも裕福な生活をしているように見えるでしょうからね。
確かにある一部のお坊さん達は裕福な贅沢な暮らしをしている方々もおられます。
ですがそれは一部かと思います。
人知れずつつましい営みの中で仏道修行に精進しておられるお坊さんもいます、路地生活なさっておられる方々にお弁当や様々なものを施しておられるお坊さんもいます、様々困窮や苦しい生活なさっておられる方々を沢山の支援につないで救っているお坊さんもいます。
ですから様々なお坊さん達がいるのです。
あなたがそのように思われることを私もしっかりと受け止めてこれからの活動につなげていきたいと思います。
そして悩み苦しむ方々が少しでも安心なさって生きることができますように、辛い思いをなさっている方々が心から救われて生きる道を見つけていかれますようにこれからも自分のできる限りがんばって精進していきたいと思います。
皆さんが悩み苦しみから救われてお健やか安心して毎日を生きることできますように、お互いのことを思いやり助け合いながら心から豊かに幸せを分かち合い生きることできますように切に仏様や神様やご先祖様にお祈りさせて頂きます。至心合掌
またあなたのお考えやお気持ちをお聞かせ下さい、あなたを心よりお待ちしてますね。
もちろんそのような活動をしている僧侶もいますよ
https://www.youtube.com/watch?v=KqBIEQQt0T8
でも
寺院への御布施だけで生活できるところは
全体の2・3割くらいですから
そういう活動をしたくてもできない僧侶は多いだろうと思います。
救済するシステム
自己破産すれば合法的に借金をチャラにできます。
生活保護を受ければ最低限必要な生活費(家賃も含む)を受給できるし、医療費も無料になるし、固定資産税などの徴収免除もあります。
虐待やDVから逃げている人を匿うシェルター(施設)だってあります。
ですから本来、役所や法律に頼ってさえくれれば、日本においてホームレスになる必要は無いはずなのです。
ではなぜ日本にホームレスがいるのか。
公的支援を受けることを窮屈だと感じる人が一定数いるのです。
例えるなら、学校で教室に座っていることさえ耐え難い苦痛だと感じる子供がいるように、公的機関の支援者からあれこれ口出しされることを苦痛だと感じる人が、施設等に入っても再び飛び出してホームレスに戻る場合もあるそうです。
なお、ホームレスの人が最寄りの役所に立ち寄ると、隣町の駅までの交通費程度のお金をもらえるそうです。
ということで、好きでホームレスを続けている人がいるのも事実なのです。
お金を渡す事が救いになるのか
こんな話があります。昔、恵心僧都(源信)という有名なお坊さんが、庭で草を食べている鹿を追い払いはらった事がありました。一見無慈悲な行動に見えますが、和尚が鹿を追い払った理由は「鹿が人に馴れれば、やがて人里で討ち取られてしまう」と考えたからだったのです。本当の優しさとは何か、何が本人のためになるのか考えて行動しなさいという教えでしょう。
さてたとえば、お金をパチンコなど賭け事に使ってしまってお金がなくなってしまい、借金をして更にパチンコをしてしまい借金が返済できなくなり困っている人がいるとします。ここまでくるとパチンコ依存症でしょう。その人にお金を渡したところで、その人はまたそのお金をパチンコに使ってしまう可能性が高いでしょう。一度お金を差し上げれば、何度でもお金をもらいに来てそれをパチンコで溶かす事になるでしょう。それでは全く救いになりません。その人には、お金を渡すのではなくて、パチンコ依存症から抜ける施設などを紹介した方が、その人の為になると思います。
中国の老子という人の言葉に「魚を与えるのではなく釣り方を教えよ」という言葉があります。おなかがすいている人に魚をあげるのではなく、その人に釣り竿を渡し魚の釣り方を教えた方が、食べ物に困らずその人のためになるという事です。お金がなくて困っているといってその場でお金を渡しても、それを使い切ってしまったら終わりです。その人は「お金がなくなった」といってまたお金をもらいに来ることになるでしょう。それでは本人のためにならないし、渡す側も困ってしまいます。それでしたらどこか働き口を探すなどした方がその人のためになると思います。
このように、お金に困っている人にお金を渡す事ばかりが、その人の救いになるとはいいきれない事だってあります。
お金や住まいに困っている人たちには、それぞれ事情や理由があると思います。本人には非がないながらも結果として困った事になっている人もいるでしょう。お金を渡すのではなく、それぞれの人の事情をきちんと確認し把握した上で、その人に合った解決策を導き出すことで、その人たちの助けになりたいものです。
質問者からのお礼
はじめてこんなに回答していただいたので焦ってそのままお礼もせずでごめんなさい。
たくさん意見をいただいて、お坊さんはそういった考えなのだなぁと理解できました。
ありがとうございました^^
自分でも自分から、できる活動などに参加したり、寄付をしてみたりしたいです。