猫に呪われているのかもしれない
飼い猫が先月逝きました
実家の飼い犬2匹のうち1匹も先々月逝きました
もう1匹も危ない状態です
猫とは仲が良かった時期もあったのですが、仕事でも私が精神的に追い詰められることが多くなり、猫を嫌いになっていってしまいました
猫が嫌いになってしまった原因は鳴き声です
私を責めているように聞こえる鳴き声でした
今までも、煩く鳴く事が多く
音で驚かせたり、水をかけて驚かせて
鳴くのをやめさせようとしていましたが
効きませんでした
実家の犬が逝ってしまう前の日
いつも以上に煩く眠ることすらできず
怒りに任せて私は猫に水をかけました
とても煩くて眠れなくて大人しくなってほしくて
猫はとても怯えて隠れてしまいました
その姿を見てとても後悔したけど
あの猫の鳴き声を止ませるためには仕方がないとも思いました
その次の日飼い犬が亡くなりました
もともと寿命も超えていて、弱ってきてはいましたがタイミングが…
私が猫に水をかけたから猫が飼い犬を…と思ってしまいました
その後、猫もどんどん弱っていき
なんとか元気にさせようとしましたが、結局亡くなってしまいました
そして今は実家の残された犬も、もういつ逝ってもおかしくない病状だそうです
私が猫に優しくしてあげられなかったから、猫も私の大好きな飼い犬も亡くなってしまうのだろうかと毎日後悔しています
ただ…この間夢に飼い猫が出てきて
死ぬ間際のようにとてもボロボロの毛並みでした
私は会えて嬉しくて何度も名前を呼んでたくさん撫でて
その度にどんどん元気になって最後は光になり消えてしまいました
猫は私を許してくれたのでしょうか
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「呪い」は誰が作っているのか
ご相談拝読しました。猫ちゃんとワンちゃんのご命終に謹んでお悔やみ申し上げます。
結果から申し上げますとそれは猫があなたを呪っているのでなく、精神的余裕のないあなたが猫をそのように捉えてしまっているということでしょう。
あなたなりに愛してきたのでしょうが、お仕事で精神的に追い詰められたことにより余裕がなく、最後は適切なかかわり方が出来ていなかったのではないでしょうか。
そしてその自覚があるからこそ後悔し、猫ちゃんに申し訳ない気持ち・許されたいという気持ちが「呪い」という迷いを生み出してしまっているのです。
呪いが実際にあるのでなく錯覚している、あるいは呪いのせいにしているということです。
一切衆生(生きとしいけるもの)は命終えたからには生前の囚われを離れて一如真実の世界に還ると私はいただいています。しかしそれは確かめることはできません。確かめることができるとしたら命を終えた存在自体についてではなく、命を終えた存在を私がどう捉えているのかということについてです。「私(あなた)にとって」という一点を外しては亡き存在ともう出会うことはできません。
今、あなたは「あなたにとって」猫ちゃんを「あなたを呪う存在」として見出しています。それはあなたの思いの投影なのです。
そして逆に言えば、気の迷いだから「呪われてなどいない=許されている」と開き直るのも思いの投影に過ぎません。
亡き存在を偲び、亡き存在への思いをとおして自らの姿を省みるなかでこそ、けしてあなたを呪うのでなく、あなたを真実に導く存在として猫ちゃんに出会い直していけるのではないでしょうか。
質問者からのお礼
お礼が遅くなりすみません。少しずつですが仲の良かった頃の気持ちになりつつあります。猫のことを呪いかもだなんてひどい事だったと反省しています。あの子が来世もっと幸せになれることを願います。