因果応報
これまで人に意地悪なことをしたり、嫌なことを言ったりせずに生きてきましたが、周りの人から嫌なことを言われたり、意地悪なことをされたりということはたくさんありました。
なぜ、自分は悪いことはしていないのに、こんなに嫌な思いをしないといけないのだろうと思ってしまいます。
これまで人に嫌なことをせずに、誠実に真面目に生きてきた結果が、今なのであれば、これまで自分が不当に受けてきた苦しみはなんだったのだろうかと思ってしまいます。
誠実に生きてきた自分がアホらしく思えます。誠実さなんか捨てて、思うがままに生きてやるという気持ちがメラメラとわいてきます。
因果応報なんてあるのでしょうか。
人に悪いことをした人は後で報いを受けるものなのでしょうか。
正しく清く、人のために良いことをと心がけて生きている人はそれはそれで良い因果応報があるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ゆっくりとお考えなさって下さい
拝読させて頂きました。
真面目に誠実に生きていけば自分自身気持ち良く生きられます、人を思いやり善いことをすれば、自分も人も気持ち良く生きることができます、そして人から感謝されて善いご縁の中で生きることができます。
不誠実な態度や行いをしたら自分も嫌な気持ちになり周りの人も良くは思いません、ましてうそやいつわりを言ったり人のことを悪口言ったり傷つけたりすれば、先ず自分のことをおとしめてしまいますし罪を犯してしまい、人からも嫌われてしまい人は離れてしまいます。つまり孤独になります。
あなたはどう考えてどう生きていきますか?ゆっくりとお考えなさって下さいね。
閻魔さまに任せる。
ご質問拝読しました。
愚僧は阿弥陀さまの
お救いにより
閻魔さまのお裁きをうけることなく
極楽浄土に導かれる、
と信じていますので、
閻魔さまの7日ごとの
お裁きを受けることはないと、
思いますが、
49日まで、今までやって来た、
良いことも悪いことも
評価されると言われています。
愚僧はこれを評価するのは、
閻魔さまではなく、
自分自身だと思います。
薩摩藩には、
牢屋はありませんでした。
閉門蟄居を命じらると、
自主的に門を閉ざして、
外界との交流を自主的に
絶ったからです。
自己規律です。
話は飛びますが、
愚僧はこちらでお答えさせて、
いただいていますが、
反対給付は全く求めておりません。
したいからする。
答えたいから答えているだけです。
意図も作為ありませんよ。
ましてや徳を積む、
この愚かでお粗末な愚僧には、
無理です。
あなたと同じように、
裏切られたり、
騙されたり、
いじめられたり、
責められたり、
散々嫌な思いをしましたが、
自分に徳がないからだとか、
前世の因縁だとも思いません。
なぜなら愚僧には、
徳を積むことなどできませんし、
前世を測る能力、
霊能力などあろうはずも
ないからです。
それでは因果の法則が
怖くて大人しくしているのか、
これも全く違います。
愚僧は逆にそこまで、
臆病ではないからです。
単なるこの娑婆世界の、
現象として、
嫌なことや、
他者からの非難、攻撃を
受けますし、
限度を超えたら、
この社会のルールに従い、
反論するだけです。
まわりの人たちに、
極力優しく、
丁寧に接しているのは、
自分が相手からそうされたら、
気持ちがいいから、
つまり自分がそうしたいから、
だけですよ。
自分がしたいことをする。
したくないことはしない。
万が一、こうした生き方で、
気が付いた時に、
地獄に堕ちていたら。
それこそ自業自得です。
誰を恨むものでもありません。
自分自身の人生ですからね。
ご自身が明るく楽しく、
生きるためにはどうしたら、
よいのか?
答えはそこにあるように、
思いますよ。
ご多幸を祈念いたします。