前を向いて生きたいです
去年、私は当時付き合ってた彼の子供を妊娠しました。
話し合いの結果、結婚し産んで2人で育てることになりました。
が、妊娠4カ月のとき、彼の浮気が発覚し別れたい、産むなら勝手に産めと。酷い言葉や、お腹を蹴られたりもしました。
親同士も説得しましたが彼は聞く耳持たず、それまで喜んでいた母親も子供を産むことに反対するようになりました。
私のことを思ってではなく、自分たちの世間体を気にし、娘がシングルマザーだと近所にも親戚にも顔向け出来ないと。
私は本当に本当に産みたかったです。
が、信じていた親にも味方をされず産めるかと考えると、たった1人で育てる経済力も余裕もないと行きつき中絶を選びました。そのときはそれしか選択がなかったんです。
中絶したあと、母親が病室に来た途端に「堕ろせと言うんじゃなかった。とんでもないことをした」と私に向かって言ってきました。
その瞬間、この人のことを親として見れなくなり、それ以降不信感しかなく連絡も全部切りました。
毎日中絶しか選べれなかったこと、子供を独りいかせてしまったことへの後悔、唯一味方だと思っていた親への不信感、孤独感。
これを全部背負って生きていく人生、少しでも生きる意味を知りたいです。
他宗教なのにここへ相談してしまったことをお許しください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
拠り所
こんにちは、初めまして。
中絶をされたとのこと、苦しいでしょう。
「他宗教」とのことなので、詳しくはその宗教の方で深めていただくとして、私は簡単に何かのヒントになればというスタンスで感想を書きます。
「当時付き合ってた彼」と「結婚し産んで2人で育てること」になっていたにも関わらず、「妊娠4カ月のとき、彼の浮気が発覚し別れたい、産むなら勝手に産めと。酷い言葉や、お腹を蹴られたりもしました」とのこと。本当に酷い仕打ちです。あなたの落胆は深かったと思います。
また、 「本当に本当に産みたかった」にも関わらず、母親から「世間体を気にし、娘がシングルマザーだと近所にも親戚にも顔向け出来ない」といわれ、「たった1人で育てる経済力も余裕もないと行きつき中絶を選びました」とのことです。一番に支えてくれる思っていたのに、そうならなかった、そうしてくれなかった落胆もまた深いものだったでしょう。
以上のような経験を踏まえて、「前を向いて生きたいです」と言われています。
あなたは、その時々ごとに頼りとしてきた人がいたでしょう。
彼氏を頼りとした時もあった。
母親を頼りとした時もあった。
間違いないと思えるものに頼るけれども、結果それが不確かなものであったと知る。落胆する。人間は多かれ少なかれこのサイクルの中に生きています。
仏教では、今生の人間や、物を拠り所にしない方向性で考える教えです。
何故なら、今言いましたように人や物はすべからく移り変わって落ち着かないものだからです。そして、もう少し言えば、どんな人間も煩悩の影響下の中に生きている、正しさが常に揺らぐものだから、これを全力で拠り所にすること自体が不安定化の始まりだからです。
拠り所を考える。
自分にとっての。
これまでの経験は辛かったでしょうが、人間として熟成していく機縁として捉え直せば、「前を向いて生きたい」というあなたの本意と一致していくのではないかと思います。
御身お大事に。
質問者からのお礼
お言葉をありがとうございます。
初めは「彼にも親にも頼りきってない、拠り所と思ってないのに」とモヤモヤ思いましたが、何度か読み返させていただき、今は意味がわかり落ち着きました。
自分の足で立って、与えられた人生しっかり歩んでいきます。
ありがとうございます。