これからの人生に安心したいです
私は死後への不安があり、死ぬことが怖いです。
というのも自分自身、胸を張って良い人間であると言いきれない、むしろ性根の悪い人間だと自覚しているからです。
そういった人間は極楽浄土、所謂天国には行けないというイメージがあります。
私は昔は明るく元気でいつも人の輪の中心にいるような存在でした。困っている人には進んで助けになりたいと思っていました。
自分で言うのもなんですが、私は子供にしては人望もあり、正義感に溢れていて、またそんな自分の事が好きでした。
ですがいつの間にか堕落し、人と対面するのが苦手で、目を見れない、自分をよく見せようと虚言癖がある、大切だったはずの存在を傷付けて、楽な方へ逃げて逃げて孤独になり今の私はいます。
自分の事が大嫌いになりました。私には人には見せられないどす黒い心があります。
そんな私がこれから何か頑張れば贖罪になるのか、そして何か得る物はあるのか、過去の過ちから死後の行先は地獄なのだろうかと。とても不安にかられます。
今になって思えば善い行いだと、人助けだと思っていたことも自己満足でありもしかすると自分の行動に自惚れていただけなのかもしれないと思います。
こんな私は極楽浄土に行く事ができるのでしょうか?独りになった今遠い先の答えだけが不安です。
人生に安心が欲しいんです。
元々あまりスピリチュアルな事は考えた事は無いのですが、今は極楽浄土に行きたくてお寺で南無阿弥陀と唱えてみたりもしましたが、自分の中での不安は消えません。
簡単な答えでも構いません。どうすれば死後、極楽浄土、天国に行けますか?また、どうすれば過去の過ちを許されるのでしょうか?
ご回答お願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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死んでからではなくて。
お経の中に、提婆達多(だいばだった)というお釈迦様の従兄弟に当たる人のことが説かれています。
提婆達多は、お釈迦様を亡き者にしようと、あらゆる策略を行い実行していました。もちろんお釈迦様やその周辺にも影響はあったでしょう。
しかし、散々悪事を働いたこの提婆達多でさえ、未来は佛になると、お釈迦様は説かれます。
おおみちさんが、今まで何をされてきたのか分かりませんが、すべてに意味のあったことです。
今日からまた、昔のように
>私は子供にしては人望もあり、正義感に溢れていて、またそんな自分の事が好きでした。
そのように思い行動すればいいのです。
悪いと思うことを体験したから、良いことにも気づいたのです。だから、何の心配もありません。
死んでから地獄へ行くのではなく、心の中でマイナスの事を考えれば地獄を創造しているのです。そして天国も同じで、「自分の事が好きでした。」という以外に天国はありません。もうどちらも経験しています。
ゆえに死んでからではなく、これから、たくさんの天国(天国の行い)を経験してください。そうすれば死後の恐怖などありません。
ちなみに、提婆達多のことを詳しく知りたい時は、検索してください。妙法蓮華経提婆達多品第十二というお経に出てきます。