顔しか自信がなかったのにブサイクになった
お読みいただきありがとうございます。
私は内面に全くと言っていいほど自信がありません。人と親しくなるとか、そういう能力が欠けていて、中高ではほぼ友達ができずに一人ぼっちで過ごしました。
人との距離を詰めるのが下手で、心を打ち明けられる人や、親しい友人もなかなかできず、この年で恋人もできたことがありません。
そんななか、周囲から褒められるのが「顔」でした。
私は中高大と女子校育ちですが、自分が全然話せなくても「○○ちゃん、かわいいね!」と周囲の女の子がよく褒めてくれました。ほとんど話したことがないような男性からも、好意を告げられることもありました。
人の輪の中で孤立していても、ポジティブなフィードバックがあるのは「顔」のおかげ。中身のない私にはこれしかないという思いがずっとありました。
しかし、自分も20代後半になり、顔の変化が気になるようになり、「こんな顔では誰も好きだといってくれない」と思い悩むようになりました。
特に目の下のクマが気になり、1年半ほど悩みに悩んだ末に整形。
しかし、その結果、ツリ目気味になり、目が小さくなってしまいました。
鏡を見ては「前の方が良かった。なんでこんなにブサイクなんだ」と思い悩み、唯一の拠り所を打ち砕かれて、人間関係にも消極的になりました。
うまくいかないことがあると「私はブサイクだったからだ…」と本気で思ってしまいます。
数少ない友人にも「ブサイクになったな」と思われて、付き合い方を変えられたらどうしよう、これから出会う人々にも「かわいい」と思われなくて、邪険に扱われたらどうしようと思い悩んでしまいます。
内面を磨いたほうがいいというアドバイスもあると思いますが、私なりに本を読んだり、趣味を頑張ったり、ボランティアをしたりといろいろ努力しました。
でも、私の内面を認めてくれて、好きになってくれる人に出会ったことがありません。
また自分が整形してしまいそうで怖いです。
心が健康になるためにはどうしたらいいでしょうか。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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本当に顔だけが取り柄ならしがみつけばいい。
“20歳の顔は自然から授かったもの。30歳の顔は自分の生き様。だけど50歳の顔にはあなたの価値がにじみ出る”
ココ・シャネルの言葉です。
あなたは今まで自然から授かったもので自信を得てきたのでしょう。しかし、肉体は変化し、衰えていくという自然の摂理がある中で、その変化する「顔」に対する他人の評価だけを自信の拠り所にするのは、あまりにも無謀ではないでしょうか。
数少ないとおっしゃる友人も、あなたの外面が可愛いからだけで友人なのでしょうか?
「可愛くなくなったら付き合い方を変える相手」と思っている時点で、あなたの持つ友情の概念に幼さを感じます。
20代も後半になり、外見の可愛さだけで友人を続ける人は少ないはずです。あなたには少なからず他に魅力があるから友人たちとの関係は続いているのだと思います。
思い切って「わたしのいいところって何だろう?」と聞いてみたらいかがでしょう?
自分の魅力をあなた自身が気づかない限り、今まで褒められることの多かった「顔」にしがみつくことになりますよ。
と言いながら、本当に顔しか取り柄がないなら、整形の失敗もたかだか一回、自分の理想を求め、今回の失敗から学んだことを生かし、顔にしがみつくのもいいと思います。他人からの「可愛い」も大切ですが、自分が納得する可愛い顔になるよう、どんどん経験を積んでください。
ただし、老いるものを老いなくしようとすると、苦しみが生じてしまうことはお忘れなく。
避けられないものを避けようとすることは不自然な生活だと思いますが、その不自然な生活を望むのも人間らしくて良いでしょう。
悩んだり、経験したことのすべてを糧にし、30歳、50歳になったとき、味のある顔になるよう歩んでください。