生きるのが面倒で早く死にたい
こんにちは。拙い文章ですが読んで頂けたら幸いです。
自分でもなぜこう思うのかは分からないのですが、本当に生きるのが面倒です。
生きたくなくても、お腹はすくし身体は汚れるので、食事をし、お風呂に入りますが面倒です。そして生きるためにはお金が必要で、仕事をしなければなりません。したくない仕事をしなければならない、仕事がない、稼げないなどの辛さが伴います。好きなことを仕事にして生きることが出来る人は、僅かではないかと思います。
そして、煩わしい人間関係を築く、自由が奪われる、好きなことが出来ない可能性もあります。。
私はそこまで頑張って生きる必要性がなく、活力がありません。一般的には、自分の好きなことをするために、美味しいものを食べるために、趣味に費やすために等、色々な生きる活力というものがありそのために生きているのでしょうが、私にはその活力がありません。
友人や恋人など、両親以外の人のご縁には恵まれましたがその人達のために生きようとは思えません。薄情ですが。
趣味や好きなことを見つける努力は私なりにして、それなりに好きな事はありますが、できなくても特に困りません。そしてその好きなことはどれも長続きしません。
生きる時間を与えられているくせに、生きたくても生きれない方がいるのに、とても贅沢な悩みだと思います。早くに亡くなった方を見ると羨ましいとさえ思ってしまいます。俗世から離れられて良かったですね、とさえ思ってしまいます。生きたくても生きれない方と変わりたいとさえ思います。
私が恵まれているからでしょうか。生きることに必死になる必要が無いから、逆にこのように思ってしまうのでしょうか。生きていればいいことがある、死んでしまったら終わりだと良く言われますが、私としては終わって良いのです。裕福な暮らしは出来ませんでしたが、それなりに楽しいことも、美味しいものも食べ、行きたいとこにもある程度行きました。行ってみたいことややってみたいことが無い訳でもないですが、そんなお金もないしと諦めが着きます。
何故こんなこと思い、生きる活力が湧いてこないのでしょうか。いっその事死んでしまいたい気持ちでいっぱいです。今は奨学金という名の借金があるので死ねません。
長文乱文ですみません。読んでいただきありがとうございます。
何卒、宜しくお願い申し上げます。
・些細なことで怒ってしまう ・大切な人ほど傷つけてしまう、暴力を振るってしまう ・全てが面倒くさい
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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本心は「生きたい」
らな 様 相談ありがとうございます。
生きるのが面倒だ死にたいの裏返しは、「丁寧に生きることが出来たら、しっかりと生きたい」ですね。
貴女が気づかないだけで本心は「生きたい」だと私は思います。
では、なぜ「生きたい」の本心に気づかず、面倒だとか死にたいとか思うのでしょうか?それはおそらく、貴女が暴力を過去に受けたことに起因していると思います。幼い頃に受けた心の傷は、貴女の心に居なくていいという感覚を植え付けます。その感覚が心の癖になります。ですから、居なくていい、生きるのが面倒、死にたい、になるのです。
でも、その心の癖は、貴女のせいではありません。貴女に責任がありません。
人は本能的に暴力から守るために、そこから逃げる事やフリーズをおこしたりします。つまり自分を守るために、居なくていいと思ったり、固まって動けなくなってりして心を閉じるのです。そうしないと生きにくかったからです。貴女はそのようにして心の癖がついてしまったのでしょう。
では、癖は変わらないのかというと、変わるのです。
それは、人の暖かさ優しさや思いやりや寛容さに触れていくことで変わっていきます。貴女の心の苦しみを共感してもらうことで変わっていきます。優しい人にハグしてもらったり、笑顔を向けてもらうことによって変わっていくのです。
人は、まごころからの暖かさや優しさや思いやりを感じた時に、安心や安全を感じて心を解放し、自分の為にそして人の為に生きたいと思うようになります。
幸い貴女は、友人や恋人には恵まれているようですから、その方たちにお願いして、ハグしてもらってください。暖かさや優しさが感じられるように心の苦しみを話して共感してもらってください。その繋がりが貴女を心の癖から解放させるでしょう。
そして、貴女は貴女自身に思いやりを向けてください。自分で癒すことも必要です。自分に優しくして自分に寛容さを向けて、自分の存在を許すことです。
そうして、貴女の命は何かの力が働いていただいた有難い命、生かされていること、そんなことを優しさの中で感じてください。命は必ず輝いてきますよ。
さらにいずれの生においてか
"とさえ思ってしまいます"
"そんなお金もないしと諦めが着きます"
"何故こんなこと思い、生きる活力が湧いてこないのでしょうか"
"いっその事死んでしまいたい気持ちで"
"とても贅沢な悩みだと思います"
なるほど。
つまり、「死にたい」などと思うことは不適切であり、滅多な事を思うべきではないと分かっているのに、そう思わずにはいられない事情があるんだね。「いっその事」ということは、今は投げやりな気持ちにはなってはいるだけで、死ななくて済むのならやっぱり死にたくはないんだね。
"今は奨学金という名の借金があるので死ねません"
こんなモノでさえ、今は生きる動機になり得る。
「はい、どうぞ。いつでも死んで下さい」とはならなくて、とりあえずはよかったね、と言うべきか。今生において、もう二度と生まれてくることのないように、悟れる見込みだけでもつけておかないと、また生まれてきては同じ苦しみを味わうことになってしまう。これを【輪廻転生】といい、人生における最大のテーマだ。しかも、次も人間で生まれてこられなければ、もっともっと益体もないことになってしまうんだ。
あぶない あぶない
今のうち 今のうち
質問者からのお礼
転落院さん
なんにせよ、生きる理由があってよかったと、言って下さりてありがとうございます。足枷だと思っていた奨学金の見方が少し変わりました。
釋 孝修さん
私は心の奥底で、生きたいと思っているんですね…。教えてくださったこと一つ一つ、どうやって優しさや暖かさに甘んじれば良いか等、難しいこともありますが、していこうと思います。自分を許し認めることは、すごくすごく時間がかかる気がしますが、頂いたお言葉を忘れずに生きていこうと思います。ありがとうございます。