出自に対する絶望にどう構えるか
私は今、休職して5カ月目になります。
上司との折り合いの悪さが原因だったため、保健師の方からは配置転換を検討しようと提案いただいており、転換先を決める参考に「やりたいことを聞かせて欲しい」と言われています。
しかし、やりたいことがさっぱり出てこないのです。
果たしてどうしてだろうと思い、カウンセラーさんと二人三脚でひとつひとつ原因を辿っていくうちに、自分の中に根深い絶望感があることに気付きました。
私のルーツは韓国系で、日本系の血は入っておりません。しかし、両親ともに在日韓国人だったため、生まれも育ちも日本で、記憶にないころに家族全員帰化したと聞いています。ルーツを知ったのは中学の頃です。しかし、世間で言われる韓国の評判に辟易しており、自分の中でのコンプレックスとなっています。
また、発達障害を抱えており、これが原因で家庭崩壊を起こしています。私一人が原因ではないと頭では理解できていても、「私が生まれてこなければ平和な家庭があったかもしれない」という気持ちがどうしてもぬぐえずにいます。
この二つを抱えている以上、あたたかな家庭を望んだり、仕事を通じて自己実現を果たすというのは(可能性は0%ではないにしろ)限りなく難しいだろうと心のどこかでずっと思っているのです。ここで気持ちがくじけてしまっているから、「やりたいことがない」「やっても無駄だから」となってしまっていると気付きました。
問題はここからで、出自というのは努力ひとつで変えられるものではないため、この絶望感にどう向き合っていけばいいのかさっぱり分からないのです。
カウンセラーさんはあくまで気持ちの整頓のお手伝いをしていく方ですし、最後にどう乗り越えるか決めるのは私自身となります。それでも、さっぱり思いつかないのです。
「いつかこの苦しみが何かの役に立つ…」と考えてみても、実に薄っぺらく、まるで意欲がわいてこない始末です。
こういった、変えられない・けれど一生付き合っていかなくてはならない苦しみを越えて希望を持つには、どう知恵を凝らせばよいか、教えていただけるとありがたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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【目的論】
生れによってバラモンとなるのではない。生れによってバラモンならざる者となるのでもない。行為によってバラモンなのである。行為によってバラモンならざる者なのである。『法句経』
出自は関係ない。
人が尊いのか卑しいのかは、各々の行為による。
これは釈尊の最も有名なフレーズのひとつです。
無知で悪意を持った他人のみならず、他ならぬ自分自身までもが"出自"を理由に自分を貶し、不甲斐ない現状や困難に立ち向かいたくない自分を正当化するようなことがあれば、それはまことに残念至極な話です。